BLOG「月のように生きる」

◆商売をやっていた父母は、年末年始は歳末の売り出しやら初売りの準備やらでとても忙しく、幼い頃一緒にゆっくり過ごした覚えなどない。私は出入りするお客をよそに、一人でテレビを見たり本を読んだりした。◆ほったらかした息子に申し訳ないと思ってか、初売りが一段落した頃に母が一緒に双六(すごろく)をしてくれた。「双六の母に客来てばかりをり」俳人・加藤楸邨の作だ。この俳句のように、初売りが終わっても母は忙しく、一緒に双六をしている母の順番を待ってばかりだった。◆この病状だとあと2、3年ですよと言われて、二十数年間も母の死と向き合った。こちらの双六では、上がらないことを必死に願いながら、いつまで続くのだろうかという得体の知れない不安を抱えていたように思う。◆今日は詩「双六」with PENTAX K-7
©FUJIKAWA Konosuke

詩「双六」
   藤川幸之助
双六のように
病人にも順番があるらしい
軽い病状の人は
ナースステーションから一番遠い病室
そこから病状が重くなるごとに
ナースステーションに近づいていく
そして、一番重篤な人は
処置室という部屋に入る
母は処置室の一つ前の部屋に入っている

母に会いに行くと
昨日まで母のベッドの横の
おばあさんが処置室に入っていた
お母さんお母さんと何度も叫ぶ
女性の声が聞こえた
ある声はおばあちゃんと言い
ある者はおふくろと言い
ある声は姉さんと言って
別れを惜しんでいた

病気になるごとにサイコロを振って
死というゴールを前にして
母は出たり入ったりの繰り返し
ちょうどよい目が出ないまま
もう二十一年も経った

母さん本当はもう上がりたいんじゃないか?
半分壊死した肺で浅い呼吸を繰り返す
母の耳元で尋ねたら
藤川さんお待たせしました
次ですよと処置室の方から声が聞こえて
ハッと驚いたが
入浴の順番であった
母はストレッチャーに乗せられ
処置室の前をするりと
また通り抜けて風呂場へ向かった

◆自選・藤川幸之助詩集 
 【 #支える側が支えられ生かされていく】p162-p164より
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©FUJIKAWA Konosuke

◆エッセイ集
「母はもう春を理解できない
 ~認知症という旅の物語~」
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