BLOG「月のように生きる」

◆年を重ねたせいか、はたまた多忙のせいか、この頃とみに固有名詞が出てこなくなった。その一方で、どれだけ時が経っても忘れられない記憶もある。それは、喜びや切なさ、思いといった感情と強く結びついた記憶だ。

◆認知症というのは何でも忘れ去ってしまうとか、記憶を消し去ってしまうように思われがちだが、認知症になっても、こうした記憶は深く残ることもあるのではないか、と思う。

◆父がよく話してくれたことがあった。認知症の母は、私が帰省すると聞くと、私の好物のカレーを作ろうとして、人参とジャガイモを手に台所をうろつき、なかなか作ることができずに、しまいには泣き出してしまうんだと。このエピソードを元に描いたのが、本日の詩「約束」。

約束
     藤川幸之助

今度帰るときには
ライスカレーを作っておくからと
嬉しそうに母は約束した。
久しぶりに実家に帰ってみると
約束通りライスカレーが
テーブルの上においてあった。
食べると母の味つけではない。
レトルトのカレーとハンバーグを
皿に盛りつけただけのものだと
すぐに分かった。
「お母さんのカレーはうまか」
大げさに父は言っている。
「これ母さんレトルトだろ?」
私は不機嫌に言った。
「二つとも時間をかけて作ったんよ」
母は言い張った。
「ちがうよこれは母さんのカレーじゃないよ」
「お母さんのカレーはうまか」
母の方を向いて大声でまた父が言ったので
私も意地になって言い返えそうとした時
「お母さんのカレーはうまか」
父が私をにらみつけて言った。
母が風呂に入って
父と二人っきりになった。
作り方を忘れてしまって
料理を作らなくなった母のことを聞いた。
私とのライスカレーの約束の話を
母は父に何度も何度も話し
しまいには台所で泣き出したのだそうだ。
だから、父がレトルトのカレーを
用意したというわけだった。
「幸之助、おまえは幸せだなあ
 こんなになってもおまえの好物を
 お母さんは忘れんぞ」
父がうらやましそうに言った。
©FUJIKAWA Konosuke
詩集【支える側が支えられ 生かされていく】より
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