BLOG「月のように生きる」

◆子どもたちの作文選考に関わって、今年で13年目になります。

毎年この時期、子どもたちが「認知症」を見つめて綴った作文の一編一編と向き合う時間は、私自身の「まなざし」を問い直す大切なひとときです。

今日は、特に心に残る2編の子どもの作文を、著書『それが、ばあちゃんなのだ。』から紹介させてください。

「おばあちゃんは、はたらきもの」凛音さん
わたしのおばあちゃんは、いつも忙しくしています。 何度も何度も水やりをします。そのたびにお母さんに叱られます。でも、おばあちゃんの作った野菜は、すごくおいしいよ。 おばあちゃんは、はたらきものです。 何度も何度も掃除をします。またお母さんに叱られます。でも、お家の中はピカピカで気持ちがいいよ。 おばあちゃんは夕方、カバンを持って出かけます。そして、いつも公園で寝てしまいます。迎えに来たお母さんに、また叱られます。 でも、おばあちゃんは「はたらきもの」だから、疲れちゃうんだよね。
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◆「ラベリング」という名の壁
「ラベリング」とは、言葉によって対象を分類し、特定の枠にはめてしまうことです。 私たちは、相手を「認知症の人」とラベルを貼ることで、その人をすべて理解したような錯覚に陥ってはいないでしょうか。

しかし、その裏で、そのラベルによって見過ごしてしまう大切な部分や、こちらの思い込みを助長してしまう時があるように思うのです。

認知症の人を「認知症」という枠組みだけで捉えるのは簡単です。しかしそうすることで、私たちはその人自身をしっかりと見つめることを止めてしまっているように感じるのです。
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「黒あめのおばあちゃん」 天珠さん
近所のおばあちゃんと僕は、友だちです。 だけど、僕が「こんにちは」と言うと、おばあちゃんは「あんた、どこから来たん?」と、ぜったいに聞いてきます。僕の家はおばあちゃんの家のすぐ近くだし、何回も教えているのに、いつも忘れてしまうみたいです。 でも、何回聞かれても、僕はそのたびに答えます。 だって、すぐに僕のことを忘れちゃうけど、「よう来たなあ」「気をつけて帰りなさいよ」を必ず言ってくれる、とてもやさしい心のおばあちゃんのことが大好きだからです。 おばあちゃんは、僕にいつも黒あめをひとつくれます。僕は黒あめが苦手だけど、おばあちゃんが「はい、あめちゃん」って手にそっと置いてくれるから、僕のお菓子箱の中は、黒あめでいっぱいになりました。 それを見ていると、おばあちゃんが僕のことを「黒あめの子」って覚えてくれているような気がして、嬉しくなります。
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◆情報に左右されない「まなざし」
「認知症」というラベルを貼ると、私たちの視界は、病状や問題行動といった偏った情報だけで支配されてしまいます。すると、その人らしさ、その人の長所、その人の良さといった「輝き」が、すっかり見えなくなってしまう。

しかし、子どもたちの作文には「ラベリング」がありません。 彼らの視線は、情報や常識、そして「認知症」という言葉にさえ左右されません。彼らはただ、目の前の人を、その人として真っ直ぐに見つめているのです。

何度も水をやる姿を「症状」ではなく「はたらきもの」と捉える凛音さん。 忘れてしまうことよりも、「あめちゃん」をくれる手のぬくもりを信じる天珠さん。

私たち大人が学ぶべきは、この「ラベルのないまなざし」ではないでしょうか。

今年も、一編一編に宿るその「輝き」を、大切に受け止めていきたいと思います。
©FUJIKAWA Konosuke

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多くの方々に詩を読んでいただければと思っています。

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