中秋と仲秋*詩「ただ月のように」

◆9月8日は中秋の名月だったので写真を撮りに行った。でも、どう見てもまん丸ではない。不思議に思って調べてみると、翌日の9日が満月だという。不見識にもほどがあるが、中秋の名月は満月だとこの歳になるで思っていた。中秋とは旧暦8月15日のこと。この日に見える月のことを、満月とは関係なく中秋の名月というのだそうだ。秋は旧暦で7月、8月、9月。そのど真ん中の日に見上げる月というわけだ。◆ちなみに人偏が付くだけでややこしいが「仲秋の名月」となると意味が変わってくる。秋にも始まりと終わりがあって、旧暦の7月は孟秋(秋の初め)、8月は仲秋(秋の真ん中)、9月は季秋(秋の終わり)と呼ぶ。つまり「仲秋の名月」とは旧暦の8月中に見える全ての月のことになる。◆今日もこの原稿を書いている書斎から「仲秋の名月」が見えている。月と向かい合うときは、月を見ているというより月にじっと見られているような感じがする。月に見つめられながら私はいつも心が静かになる。寄りそうということはこういうことなんだと月を見上げてまた思う。◆今日は、母を施設に入れた満月の夜に書いた文と詩「ただ月のように」を月明かりの写真を見ながらどうぞ。【コメント・詩・写真*藤川幸之助】

ある夜、海へ行くと
真っ暗な大海原の上に満月が上っていました
真っ暗な海の中で波は揺れ
月明かりがその揺れにあわせて
ちらりちらりと微かに光っては消え
消えては光っていました
この微かな光が幸せなのかもしれない
そして、この真っ暗な大海原は
悲しみに例えるほど卑小なものではなく
これこそが幸せを映し出す
人生そのものなんだと思ったのです
この人生の大海原の中に
微かな光も見逃さぬよう見つめる
すると、そこにはきっと幸せはあるのだと
満月の下に広がる
真っ暗な大海原を見つめながら
認知症の母との幸せのことを考えたのです
     『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)より      

「ただ月のように」
           藤川幸之助
ただ月のように
認知症の母の傍らに静かに佇む
何かをしているように
何にもしていないように
見つめているようで
見つめられているようで

ただ月のように
母の心に静かに耳を澄ます
聞いているように
聞かれているように
役に立っているようで
役に立っていないようで

ただ月のように
母の命を静かに受け止める
受け入れるように
受け入れられているように
愛しているようで
愛されているようで

ただ月のように
ただそれだけでいい
何かをするということではない
何かをしないということでもない
することとしないことの
ちょうど真ん中で
することとされることが交叉する
ただ月のように
ただそれだけでいい
      『まなざしかいご』(中央法規出版)より
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