BLOG「月のように生きる」
◆母が認知症になって亡くなるまで、二十年以上もの間、母と言葉を通して意思疎通をしたことがなかった。言葉に耳を澄ますことができなければ、その存在に耳を澄ますしかない。記号である言葉と違って、存在が放つものには明確な意味など存在しない。だから、その存在を感じて自分の中で自分なりの意味が生まれるのを待つしかないのだ。
詩「まだまだ」
            藤川幸之助
母の心臓はもう限界で
いつ止まってもおかしくない状態だ
と、医師から説明を受けた
ここまで母はがんばりましたから
もうゆっくりさせてあげたい
と、私は答えた

そう言ったのに、病室にもどると

「母さんもう精一杯か?
 もう少しがんばってくれんね?」
と、母の耳元で言っている
私の涙が母のおでこを静かに伝って
タオルにしみこんでいった

母の隣に座ってリンゴをむいた

皮がむかれたリンゴは
言葉をなくした母のように静かだった
認知症で言葉を失って二十年
私が言葉で問いかけ
いつも言葉ではないもので母は答えた

まだまだ

まだまだまだだ
まだまだ生きていてくれ
何度も何度も心の中で繰り返しているうち
母のいない明日から届く
母からの答えのように響く
「お前はすぐくじけるんだから
 まだまだ
 まだまだまだだ」
と許してくれなかった母の厳しい目を
鏡の中の自分自身の顔の中に見つける
『支える側が支えられ
 生かされていく』致知出版より
©FUJIKAWA Konosuke
【詩・文・イラスト】藤川幸之助

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