海容◆詩「静かな長い夜」

◆「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」*1 #三好達治 の詩集『測量船』の詩「郷愁」の一節である。◆「海」という文字の中には、確かに「母」という文字が入っている。また、フランス語で、「母」はmère(メール)と表記し、「海」はmer(メール)と書く。同じ発音だというのも面白いが、mère(母)の「e」をとれば、mer(海)になる。つまり、日本語では海の中に母がいて、フランス語では母の中に海があると言うわけだ。◆認知症の母を前に、私はいつもじたばたした。そんな私を、母は海のように静かに見つめていた。そんな母の瞳を見ると、「海容」という言葉を思い出す。広く物を容れる海の様子からできた言葉で、海のような広い心を以て、人を許すことを意味する。◆海に真っ青な空がくっきりと映り、海と空とが一つに解け合う姿が目に浮かぶ。海容の「容」という字には、「受け入れる」という意味もあるらしい。母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、その生の青さを深くしていったようなのだ。母の中にも海はあって、海の中にも母はいた。今日は詩「静かな長い夜」を。■参考文献 *1『測量船』三好達治・講談社文芸文庫
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詩「静かな長い夜」
藤川幸之助

母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないで私を見つめる。

二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
おれがかがなくちゃなんないんだ」

「お母さんはよく分かっているんだよ」
と他人(ひと)は言ってくれるけれど
何にも分かっちゃいないと思う。

夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪(な)いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
©FUJIKAWA Konosuke
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彼岸花の話◆詩「返す」

◆秋に咲く花には、ダリア、コスモス、菊、リンドウなど数多があるが、私は中でも彼岸花を写真に撮ることが多い。◆「彼岸」とは向こう岸に広がる生死を超越した悟りの世界のことだが、これに対して迷いと悩みの多いこちら側の現実世界のことを「此岸(しがん)」という。彼岸花とは、この現実世界に咲いたあの世の美しい花ということなのだろう。◆彼岸花をシビトバナと忌み嫌う人もいるが、私はこの花を見ると亡くなった人ばかりではなく、これまで出会いお世話になった人達のことを思い出す。◆あなたが私の中に咲いている。あなたが私となって咲いていると、どこか人のすっくと立つ姿に似た彼岸花を一本一本見つめながら、これまでこの此岸でこの私とつながりのあった人達のことを、この人達のお陰でやっとここまでたどり着けたと思い出すのだ。◆今日は、詩「返す」を。
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返す
  藤川幸之助
自分が死ぬわけでもないのに
何でこんなにつらいのだろうか
苦しそうな母を見ると
もう死なせてあげたいと思う
いやずっと生きていてほしいと願う
母の生を見守っていたいと思いながらも
母の死に目を背けたい気持ちになる
認知症になって二十四年
母さん本当のところを言うとおれも
もうすっかりくたびれ果てているんだ

どちらが母は楽でしょうかと聞くと
「どちらを選んでも同じです
 死ぬときは誰でも苦しむんです」
と、医師は答えた
「生まれてくるとき苦しんで
 泣き叫んで生まれてくるのと同じです」
と、医師は付け加えた
あの世との行き来は大変だ

難産だったらしく
私は驚くほど大きな泣き声で
生まれてきたと母から聞いたことがある
男である私には分かるはずもないが
母の産みの苦しみは計り知れない

この大きな大きな
宇宙の子宮の中から
さあ今度は私が母さんを
あの世へお返ししますよ
こちらも難産らしく
母は驚くほど大きな泣き声をあげる
男である私にも分かる
母を返す苦しみも計り知れない

©FUJIKAWA Konosuke
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