◆コロナの時期だったからだろうか、「この人生にどんな意味があるのか?」と、問うてみたくなる時があった。
◆アウシュビッツを生き抜き、『夜と霧』の作者V・E・フランクルは、問うのは人ではなく人生なのだと言う。
◆「私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない」*と。
◆「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない」*ともV・E・フランクルは言う。
◆人生の出す問いに自分なりの答を出しながら前へ進むそれ自体が、生きることではなかろうか。答を出すことではなく、答を出そうともがくこと、それが生きることではなかろうかと思うようになった。今日は詩「問いは」。
問いは
藤川幸之助
問いは
問われることも
問うことも
あまり得意ではなかった
ただそこにいて
自分に答えてくれる人を
待ち続けた
問いに
空は答えなかった
問いに
海も答えようともしなかった
猫は近づき
問いをなめ回した
犬は片足をあげ小便をかけて
どこかへ行ってしまった
答えが間違えていても
正解でも
答えがいくつも見つかっても
答えが無くても
問いには関係なかった
ただそこにいて
答えをまった
いや答えを待たないこともあった
ただ問いのまま
人に見つめられ
人の頭の中で
ぐるぐると巡り続けることが
実は問いにとっては
一番の楽しみだった
詩集『おならの生きがい』(未刊)より
*『それでも人生にイエスを言う』(春秋社 山田邦男 訳)
©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】
◆自選・藤川幸之助詩集(致知出版)
【支える側が支えられ 生かされていく】
詳細は◆https://amzn.to/2TFsqRT
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ピカソの言葉◆第24回認知症ケア学会・特別講演
◆久しぶりの投稿になります。
皆さんお元気ですか。
物書きがどこにも何も書かなくなったら、
死んだのではないかと思われるのは
私の年齢になると至極あたりまえのことですが。
◆私は生きております。
生きて、この6月4日(日)に国立京都国際会館で講演します。
第24回認知症ケア学会・特別講演です。
今年も認知症ケア学会主催の
「未来をつくる子どもたちの作文コンクール」
の最終選考もさせていただきました。
今回で10年目になります。
◆ピカソは言いました。
「ラファエロのように描くのに4年かかったが
子どものように描くのには生涯かかった」
大人になるにつれ常識を手に入れ、ひきかえに
持ち合わせていた感性を手放してきたようにも思います。
◆子どもたちの入賞作文の発表があって
その後、1時間30分私が講演をいたします。
大丈夫です。生きています。
とても広い会場ですので
お時間がある方は是非ご来場ください。
以下、講演の詳細と
講演で久しぶりに朗読する詩「おむつ」です。
◆演題 認知症の人と「この今」を生きる
〜その存在に耳をすますということ〜
◆講演会名 第24回認知症ケア学会・特別講演5
◆講演日 2023年6月4日(日) 10:20~11:50
◆会場 国立京都国際会館
ニューホール(第1会場/最大1600人)
◆お問い合わせ
日本認知症ケア学会 事務センター「第24回大会」係
電話:03-5206-7431 FAX:03-5206-7757
10:00~12:00/13:00~17:00(土日・祝日除く)
おむつ
藤川幸之助
認知症の母が車の中でウンコをした
臭いが車に充満した
おむつからしみ出て
車のシートにウンコが染み込んだ
急いでトイレを探し男子トイレで
尻のしまつ始末をした
母を立たせたまま
おむつを替える
せま狭い便所の中で
母のスカートをおろす
まだ母は恥ずかしがる
「おとなしくしとかんとだめよ」
母のお尻をポンポンとたたいてみた
子供の頃のお返しのようで
少し嬉しくなった
母のお尻についたウンコを
ティッシュで何度も何度も拭いてやる
かぶれないように拭いてやる
母が私のウンコを拭いてくれたように
私は母で
母は私で
母の死を私のものとして見つめる
私の死を母のものとして見つめてみる
母と一緒に死を見つめてみる
狭い棺桶のような直方体の
白い便所の中で
鍵を開け母の手を引いて
便所から出る
そして
左手で母をつかまえたまま
私も便器に向かい
右の手で小便を済ませた
詩集『マザー』ポプラ社より
©FUJIKAWA Konosuke
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藤川幸之助 2023/06/01
「正常性バイアス」◆詩「手帳」
◆正常性バイアス(Normalcy bias)という心理学用語がある。事件や事故、自然災害など自分にとって被害が予想される状況下で、日常生活の延長上の出来事として捉えて「自分は大丈夫だ」とか「まだまだ大丈夫だ」などと思ってしまうことだ。◆母に認知症の症状が出はじめた時の私の反応が正にそうだった。母が60才、私が26才の時だった。認知症の母を前に、「あの気丈な母が認知症になるわけがない」とか「母はまだまだ大丈夫だ」と、認知症は自分とは関係ないことだと思っていた。いや、思いこもうとしたのかもしれない。◆私のように自分にとって都合の悪い情報を無視したり、状況を過小評価したりするのが、認知バイアスが強くかかった時の特性なのだ。◇今日は詩「手帳」。以下の講演会でも朗読する予定です。©Konosuke Fujikawa
◆講演会名 かながわ訪問看護フェスティバル2022
□講演日 2022年10月22日(土)12:20~16:00
◆申し込み締切り・令和4年10月12日(水)
◆お電話での申し込み 電話 045-263ー2933
https://www.townnews.co.jp/0114/2022/09/15/641424.html
◆講演会名 三沢市介護予防講演会
□講演日 2022年10月26日(水) 13:30~15:30
◆申し込み締切り・令和4年10月14日(金)
◆お問い合わせ
青森県三沢市 健康福祉部 介護福祉課
電話:0176-51-8773 FAX:0176-53-2266
http://www.k-fujikawa.net/lecture.php
◆詩「手帳」
藤川幸之助
母が決して誰にも見せなかった手帳
いつもバックの底深く沈め
寝るときは枕元に置き
見張るように母は寝た
その母の手帳が
今私の手の上に乗っている
手帳にはびっしりと名前が書いてある
父の名前、兄の名前、私の名前・・・
そして、手帳の最後には
自分自身の名前がふりがなを付けて
どの名前よりも大きく書いてある
何度も鉛筆でなぞった跡
母は何度も何度も覚え直しながら
これが本当に自分の名前なんだろうかと
薄れゆく自分の記憶に
ほとほといやになっていたに違いない
母の名前の下には
鉛筆をこぶし拳で握って押しつけなければ
付かないような黒点が
二・三枚下の紙も凹ませて
くっきりと残っている
捜すといつもこの手帳を持って
母は三面鏡の前にいた
記憶の中から消え去ろうとしている
自分の連れ合いの名前や
息子の名前を必死に覚え直し
自分の呼び名である「お母さん」を
何度も何度も何度も唱えていた
私に気づくと母はあわ慌てて
カバンの中にその手帳を押し込んだ
その悲しい手帳が
今私の手の上に乗っている
詩集「支える側が支えられ
生かされていく」(致知出版より)
©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】
◆自選・藤川幸之助詩集
【支える側が支えられ 生かされていく】
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◆エッセイ集
「母はもう春を理解できない
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◆絵本・こどもに伝える認知症シリーズ4
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10月「リアル」講演会のお知らせ◆詩「捨てる」
◆若い頃、夜を日に継いで太宰を読んだ。高橋竹山の音と棟方志功の版画、寺山修司の芸術に圧倒された。奥入瀬は何度も歩いた。酸ヶ湯にも城ヶ倉温泉にもつかった。津軽半島も下北半島も車で隅々までめぐった。青森の話だ。今回は青森の三沢市に講演に行く。◆上ばかりを見る。そして、ぐるぐると同じ場所ばかりを回って、目的地になかなか到着できない。いつの日かあの美しい入海を囲む街並みを、コーヒーでも飲みながらゆっくりと堪能したいと思う。田舎者の私が横浜に行った時のいつもの話だ。今回で神奈川の講演はもう19回目になる。その3分の2は横浜だというのに、ずっとこのぐるぐるを繰り返している。3年ぶりの横浜での「リアル」講演だ。◇久しぶりに直接会場に伺って、講演をします。横浜市と三沢市のみなさん、ぜひ講演においでください。今日は講演のお知らせと詩「捨てる」を。©Konosuke Fujikawa
【10月講演会のご案内】
□講演日 2022年10月22日(土)12:20〜16:00
(講演は13:30〜15:30)
◆講演会名 かながわ訪問看護フェスティバル2022
◆講演場所 神奈川県総合医療会館7階講堂(300名)
*参加は無料ですが、事前の「申し込み」が必要です。応募多数の場合は、抽選となります(「申し込み」の詳細については添付のポスターをご覧ください)。
◆お電話での申し込み 電話 045-263ー2933
◆申し込み締切り・令和4年10月12日(水)
◆お問い合わせ
神奈川県看護協会・地域看護課
電話 045-263ー2933
□講演日 2022年10月26日(水) 13:30〜15:30
◆講演会名 三沢市介護予防講演会
◆講演場所 三沢市公会堂大ホール(300名)
*参加は無料ですが、事前の「申し込み」が必要です。
「申し込み」の詳細については添付のポスターをご覧ください。
◆申し込み締切り・令和4年10月14日(金)
◆お問い合わせ
青森県三沢市 健康福祉部 介護福祉課
電話:0176-51-8773 FAX:0176-53-2266
©Konosuke Fujikawa
詩集【支える側が支えられ 生かされていく】
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◆詩
詩「捨てる」
藤川幸之助
ある日
突然
母が車の窓からゴミを捨てた
ティッシュが花びらのように
車から遠ざかる
セロファンが春の光に
キラキラと光って
私たちから遠ざかっていった
後続の車の人から怒鳴られた
事情を話し、頭を下げた
母がその大きな怒鳴り声を聞いて
笑うものだから
怒鳴り声がさらに大きくなる
母の笑い声はいつもよりまして
高らかだった
母は言葉を捨てた
母は女を捨てた
母は母であることを捨てた
母は妻であることを捨てた
母はみえを捨てた
母は父を捨てた
母は過去を捨てた
母は私を捨てた
母はすべてを捨て去った
そして一つの命になった
でも私には
母は母のままであった
母が認知症という病気を脱ぎ捨て
生きることを捨てて
あの世への階段を上る時
太陽の光を浴びて
命は輝き
あの時のセロファンのように
私から遠ざかっていくのだろうか
詩集「支える側が支えられ 生かされていく」(致知出版)より
©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】
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ノーベル賞の前に◆詩「おむつ」
◆勝馬に乗るのは気が引けるので今のうちに書いておこうと思う。村上春樹のことだ。長い間彼の小説は苦手だった。何かねっとりと心や精神にまでもからんできていやだった。◆しかし、なぜか村上春樹から離れられず、彼の翻訳本のレイモンド・チャンドラーばかり読んだ。チャンドラーの軽快で洒落た言葉が村上のおかげで心の中で踊った。認知症の母を抱えてよどみ混沌とした私の心に光をさしてくれた時期だった。◆小説と翻訳を、村上は「チョコレートと塩せんべい」と言ったが、味のないチョコレートがねっとりと溶けたような混沌の日々の中では、村上と同様に私もパリッとせんべいでも食べたかったのだろうと思う。◆村上の『神の子どもたちはみな踊る』を再読した。村上春樹の言葉がねっとりと心や精神にまでからみつく。塩せんべいを食べながら受賞を祈る。今日はその混沌とした日々に書いた詩「おむつ」を。©Konosuke Fujikawa
◆◆おむつ
藤川幸之助
認知症の母が車の中でウンコをした
臭いが車に充満した
おむつからしみ出て
車のシートにウンコが染み込んだ
急いでトイレを探し男子トイレで
尻の始末(しまつ)をした
母を立たせたまま
おむつを替える
狭い便所の中で
母のスカートをおろす
まだ母は恥ずかしがる
「おとなしくしとかんとだめよ」
母のお尻をポンポンとたたいてみた
子供の頃のお返しのようで
少し嬉しくなった
母のお尻についたウンコを
ティッシュで何度も何度も拭いてやる
かぶれないように拭いてやる
母が私のウンコを拭いてくれたように
私は母で
母は私で
母の死を私のものとして見つめる
私の死を母のものとして見つめてみる
母と一緒に死を見つめてみる
狭い棺桶のような直方体の
白い便所の中で
鍵を開け母の手を引いて
便所から出る
そして
左手で母をつかまえたまま
私も便器に向かい
右の手で小便を済ませた
©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】
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「母はもう春を理解できない
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絵本『赤ちゃんキューちゃん』
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