新刊『徘徊と笑うなかれ』が9月28日発売◆予約

詩人・藤川幸之助の新刊
『徘徊と笑うなかれ』が中央法規から9月28日発売されます。
全て書籍未収録の詩です。
是非ご一読を!
 
24年間、認知症を生き抜いた母は逝った・・・。
 父の遺言で仕方なくはじめた、認知症の母の介護。
 その苦しさから逃げることばかりを考えた。
 でも、あの苦しみや悲しみは無駄ではなかった。
 認知症の母の詩、ここに完結。

どうぞお楽しみに!
ご予約は以下の表紙絵をクリック!

徘徊と笑うなかれ

【10月の認知症講演会のお知らせ・詩人・藤川幸之助】

【10月の藤川幸之助・認知症講演会のお知らせ】
◆以下、開催場所と日時を書いております。お近くでの開催の際は
是非ご来場ください!お待ちしております。

【演題】「支える側が支えられるとき」
~認知症の母が教えてくれたこと~
【講演内容】
母がアルツハイマー型認知症と診断されて24年。認知症を患ってからの母の心の不安、忘却への恐怖、病気による混乱とそれを支えた家族の心の葛藤を通して、認知症という病気や介護について詩の朗読を交えてお話しします。
※演題は会場によって変更になることもあります。

◆2013年10月3日 (木) PM 6:00〜
会場 神奈川県川崎市 中原市民館
講演内容 藤川幸之助スペシャルトーク「認知症の母とライスカレーと桜の下。」
問い合わせ NPO法人・認知症ラボ 尾崎純郎 電話:03-6740-2439
詳細 http://www.k-fujikawa.net/photo_1/1372085139678059.pdf

◆2013年10月5日 (土) (時間は主催者にご確認下さい。)
会場 新潟県 ANAクラウンプラザホテル新潟
講演内容 新潟県介護福祉士会20周年記念式典・記念講演
問い合わせ 新潟県介護福祉士会

◆2013年10月16日 (水) PM 1:00〜PM 4:30
会場 愛知県名古屋市 名古屋市守山区文化小劇場
問い合わせ 株式会社ハルス 福本 弥生
電話:0561-54-5508 FAX:0561-55-6099
詳細 http://www.k-fujikawa.net/photo_1/1377184712600853.pdf

◆2013年10月18日 (金) PM 1:15〜PM 3:15
会場 長崎県長崎市 ホテル清風
講演内容 九州・沖縄ブロック「師長研修会」

◆2013年10月26日 (土) AM 9:50〜AM11:20
会場 佐賀県嬉野市嬉野町 嬉野医療センター附属看護学校体育館
問い合わせ 嬉野医療センター附属看護学校  電話:0954-42-0659

◆2013年10月29日 (火) PM 2:00〜PM 3:30
会場 新潟県佐渡市 アミューズメント佐渡
講演内容 第10回佐渡市社会福祉大会
詳細・問い合わせ http://www.k-fujikawa.net/photo_1/1376836603515906.pdf

◆2013年10月31日 (木) PM 1:30〜PM 3:30
会場 神奈川県川崎市 ミューザ川崎
講演内容 川崎市幸区「ふれあい&すこやかサポーター養成講座」
問い合わせ 川崎市幸区 高齢・障害課 電話:044-556-6619

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「たたずむ」ということ◆詩「空っぽ」

◆「たたずむ」ということは、何かをすることなんだろうか。それとも、何もしないことなんだろうか。言葉のない、私のことも分からない認知症の母の側に座っていつも考えていた。母の側に「たたずむ」ことは意味があることなんだろうか。それとも、無意味なことなのか。そんなことを考えることもあった。母のために何かをすることだけが介護だと思っていたからだ。◆ある日、秋の青空の下にたたずむと、何も言わない空にやさしく包まれている気がした。それから、静かに母の側に座れるようになった。意味や無意味も越えて、何もせず何も考えずに母を見つめ、母に耳を澄まして、母の側にじっとたたずめるようになった。ただ側にたたずむ私が母をやさしく包んでいるのではないかと思えるようになったのだ。今日は詩「空っぽ」を。

空っぽ
       藤川幸之助
青空を見るとうれしくなる
それは、青空が空っぽだから
空っぽの青空は
何にも言わないで
ぼくをやさしく抱きしめてくれる

「幸せ 幸せ」と
言葉で願っているぼくは
幸せではなかった
「希望だ 希望だ」と
言葉で叫んでいるぼくには
希望などもてなかった
「愛だ 愛だ」と
言葉で伝えているぼくから
人は愛など感じてはいなかった
幸せも希望も愛も
それはただの言葉だった

ぼくらは青空という
大きな空っぽに包まれて
生まれ
受け取り
与え
全てを手放して
空っぽになっていく

言葉ではない
意味でもない
ただ聞くだけの
ただ見つめるだけの
ただそこにいるだけの
ぼくがいる
空のような
ぼくがいる

ぼくの空っぽが
やさしく人を抱きしめる

「この手の空っぽは
 君のために空けてある」(PHP出版)より

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二十数年変わらないこと◆詩「ぼくの漁り火」

◆私のfacebookページを探し当てた友人からメッセージが届いた。「今、私の手元に平成3年7月発行の『日本児童文学』があります。その中に『ぼくの漁り火』という藤川さんの作品があり、今読んでいました。これは藤川さんから頂いた本です。すごく嬉しそうに俺に下さったのを覚えています。アパートに遊びに行って不在やったんで、これは絶対に海にいるはずと思って車で向かったら、藤川さんが1人で海辺に座っていたのを懐かしく思い出します。」◆同期に教職に就いた友人からの久しぶりの便り。メールのくだりは、二十代の頃、日本児童文学者協会の賞をもらって、その作品が雑誌に掲載された時のこと。自分の作品が活字になって、人の目に触れることがなんと嬉しかったことか。詩を書くことが楽しくてしょうがなかった。あれからずっと詩を書き続けているんだと今更ながら思った。詩を書くその喜びは今も変わらない。母の介護を体験したせいか、若い頃からすると私の人生すっかり変わってしまったと思っていたが、変わらないものもあるのだと思った。そういえば、今でも私は時間があれば一人で海辺に座っている。その『ぼくの漁り火』という詩を。

月から降りてくる人

 

 

 

 

 

 

絵・藤川幸之助

 

ぼくの漁り火
          藤川幸之助
ぼくの父ちゃんは
日がくれかかると
小型船にのりこんで
夕日へ向かう
しばらくすると
真っ赤に光る
水平線の上に
星となって輝きはじめる
そのうちに
隣のおいちゃんも
ノブの父ちゃんも
みんな輝きはじめる

水平線が消え
二倍にふくらんだ
大きな夜空に
どんな星座よりきれいな
一直線の星座が見える
父ちゃん達の漁り火座が見える
その中でも
汗を流し
海をもっとしょっぱくしている
父ちゃんの星は
一番光っている
夜空のどんな星より
輝いている

大きな空から
父ちゃんの星から
ここに打ち寄せてくる波は
父ちゃんの掛け声なのだ
「ヨイセ ヨイセ ホイセ ホイセ」
ちょっと冷たくなった
海に手をつけて
父ちゃんのあったかさを感じた
詩集『こころインデックス』銀の鈴社

今夜は十六夜(いざよい)◆詩「こんな所」

◆経験というトンネルをくぐることで、同じ月でも違って見えるものだ。この詩を書いた頃は、まだ母は少しばかり話し、歩くこともできたので、他のお年寄りと比べて、まだ母の方がましだと思っていた。母は認知症じゃないと、どこかでまだ母の病気を受け入れることができなかったのかもしれない。満月の夜には、母を施設へ置いて帰った日のことを思い出す。あの時とは違う自分を、あの時と全く同じ月が淡く照らす。そして、あの時と全く同じ黒い影が、私をじっと見つめている。今夜は十六夜(いざよい)。満月を過ぎるとなぜかホッとする。絵・藤川幸之助
トンネルの向こう側
「こんな所」
           藤川幸之助
始終口を開けヨダレを垂れ流し
息子におしめを替えられる身体の動かない母親。
大声を出して娘をしかりつけ
拳で殴りつける呆けた父親。
行く場所も帰る場所も忘れ去って
延々と歩き続ける老女。
鏡に向かって叫び続け
しまいには自分の顔におこりツバを吐きかける男。
うろつき他人の病室に入り、
しかられ子供のようにビクビクして、うなだれる老人。

父が入院したので、
認知症の母を病院の隣にある施設に連れて行った。
「こんな所」へ母を入れるのかと思った。
そう思ってもどうしてやることもできず
母をおいて帰った。
兄と私が帰ろうとすると
いっしょに帰るものだと思っていて
施設の人の静止を振り切って
出口まで私たちといっしょに歩いた。
施設の人の静止をどうしても振り切ろうとする母は
数人の施設の人に連れて行かれ
私たち家族は別れた。
こんな中で母は今日は眠ることができるのか。
こんな中で母は大丈夫か。
とめどなく涙が流れた。
月のきれいな夜だった。
真っ黒い自分の影をじっと見つめた。

それから母にも私にも時は流れ
母は始終口を開けヨダレを垂れ流し
息子におしめを替えられ
大声を出し
行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続け
鏡に向かって叫びはしなかったが
うろつき他人の病室に入り
しかられ子供のようにうなだれもした。
「こんな所」と思った私も
同じ情景を母の中に見ながら
「こんな母」なんて決して思わなくなった。
「こんな所」を見ても
今は決して奇妙には見えない
お年寄り達の必死に生きる姿に見える。
『まなざしかいご』(中央法規出版)を改行、加筆。