詩「華やかな人」

「華やかな人」    藤川幸之助

きみは夢を実現した人を見たとき、その華やかな姿だけに見とれているようだ。その夢へ至るまでのその人の汗や苦労の日々をきみは知らず、夢をかなえた人のその華やかな光り輝く姿だけに目がいって、自分には才能も運も何もないと落ち込んでいる。夢への近道を考えているのかもしれない。しかし、どこにも近道はありはしない。それを人に聞くこともしてはならない。残念ながら、私にも分からないので教えることもできない。きみの人生を、信じてひたすら歩く。くじけずひたすら歩きつづける。すると自然に道は開けていく。倒れ、ひっくり返り、立ち上がり歩く。それを繰り返し、ひたすら歩く。ただそれだけなのだ、自分の道を見つける方法は。
※「やわらかなまっすぐ」(PHPエディターズグループ)より 写真*藤川幸之助
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詩「あさ」

詩「あさ」
          藤川幸之助
あさはおもった
ひるにもよるにもなりたくないと
まだだれにもよまれてない
しんぶんのかつじ
まだだれにものまれていない
ぎゅうにゅうびんのつめたさ
あたらしいいちにちがはじまる
あさはきぼうにみちあふれていた
だからあさはひるにもよるにも
なりたくないとおもっていたのに
あさはあさのままではいられなかった
こどもはきゅうしょくまだか
となんどもきいてくる
あさがおはずっとさいたままなのか
とあさにくじょうをいってくる
いぬはあさのさんぽはあきあきだ
とほえつづけ
ひるがおもゆうがおも
つぼみのままではうまれたいみがない
となまえのへんじょうを
かみさまにもうしでた
だからあさはひるになった
そしていつもどおりよるになって
またあさになったのだ
未刊詩集『おならのいきがい』より

牛乳のコピー

春風駘蕩/詩「桜」

◆私の住む長崎では桜が満開になった。原稿書きの合間、NikonD600に105mmマクロレンズとカールツァイスプラナー85mmをもって写真を撮りに行った。のどかに吹いてくる春風の中、写真を撮っていると父の事を思い出した。その場の雰囲気がのんびりとして温和な様もまた、春ののどかさに例えて春風駘蕩と言うが、母と花見をする父の物腰はまさに春風駘蕩としていた。父母は春が来るといつも仲良く桜の花の下で弁当を食べていた。◆母の介護を始める前は、目の前の春は一つだったように思う。しかし、認知症の母といろんな体験を重ねるごとに、その一つ一つの春が私の脳裏にしっかりと刻まれ、いくつもの春が重なって見えるようになった。母の介護の経験を通して、何とか私は一人前になっていったのかもしれない。◆母の介護は大変な日々で、そこから逃げて楽になりたいと思うことが多かったが、振り返りいろんな春の重なりを見つめると、認知症の母との日々は私の人生の彩りのようにも見えてくるのだ。問題もなくスムーズに進んでいくスマートな人生ばかりを願っていたが、失敗の連続のこの人生も彩り豊かで素晴らしいと思えるようになった。◆「たのしみは 春の桜に 秋の月 夫婦仲よく三度くふめし」5代目市川団十郎の言葉だ。今日は春風駘蕩の中、この三つの楽しみのうち二つをも深く感じた一日だった。今日は詩「桜」と桜の撮影の帰りに撮った桜色の春の空の写真を。2014/03/28
DSC_4978                      写真・藤川幸之助

     藤川幸之助
目の前の春は一つでした
目の前の桜も一本でした
母が認知症になる前は

今、私には桜の花びらが
幾重にも重なって見えます
今年の桜の花びら
その奥に去年の桜
そのまた奥におととしの桜
その一番奥には
母が認知症になった二十一年前の桜
鮮やかにはらはらと
重なり重なり散っています

それらの春の花見のどこかで
ウロウロしている母に
「母さん、どこへ行くの?」って
聞いたこことがありました
「お墓へ行きます」
と、母が言うと
「いっしょに行くぞ、母さん」
と、父は笑って言っていました

そんな父がふと
春になると
魂のような淡い色で
桜の枝に現れるのです
それまでどこに桜の樹があるのかさえ
すっかり忘れていたのに
だから、本当は嫌いなんです
この季節が
父が母を迎えに来ているようで
言葉のない母の心の
本当のところを見るようで

自分で選んだ道を歩く/詩「春の歌」

◆私の住む長崎では梅が咲いた。菜の花も咲き始めた。白木蓮のつぼみも今まさに開こうとしている。他の季節のときにはあまり感じないが、春が来たときだけは「また新しく始まった」という感じがする。前の季節が冬だからだろうか。これが夏や秋だったらこんなふうには決して感じないはずだ。◆そんなことを考えながら、今日はポールマッカートニー(Paul McCartney)の「NEW」を聞いて一日をはじめた。コーヒーを飲みながら聞き流していたが、「We can do what we want.We can live as we choose.You see there’s no guarantee. We’ve got nothing to lose.」の歌詞に反応してしまった。「ぼくらは好きなようにできる。自分で選んだ道を歩いて行ける。保証なんてどこにもないけど、失うものももう何もない。」と訳せばいいのだろうか。十数年前教師を辞めて、詩人として独り立ちした日のことを思い出して、「また、一丁やってやろうか!」という気になった。◆そして、30年ほど前の白木蓮の白色を思い出した。高校を卒業して直ぐの春だった。十代の私は不安に押しつぶされそうだった。途方に暮れていた。そんな時、白木蓮の真っ白の花が目にとまった。その白を見ながら、「詩人になりたい!」と思った。来る日も来る日も何編も何編も白い紙の上に詩を書いた。そんな日々を思い出した。◆ポールは歌詞の中でこう曲を締めくくる。「Then we were new….Now we are new.」と。「そして、生まれ変わった。今、世界は新しくなったんだ。」なんと力強い言葉。そして、その曲に力をもらい先ほど書き上げた詩「春の詩(うた)」を今日はどうぞ。◆◆◆忘れてはならない2011年3月11日東日本大震災。その大震災で、被災された方々のいまだ癒やされぬ悲しみに詩「春の詩」を捧げる。

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                                         写真・藤川幸之助

春の詩  ~3.11の悲しみへ
          藤川幸之助
頭を出して
ふと周りを見わたすと
まだ北風が吹いていた
何でこんなときに
出てしまったのかと
蕾は思った
でも、こんなときにも
私は咲けるんだと
蕾はすぐに思い返して力を込めた

冬の中じっと耐え抜いた
あの悲しみが力となって
この私が開いていくのが分かる

北風が花びらを揺らした
この春のはじめ
花びらと同じ色の雪の降る寒い朝
春に咲くのではない
春を咲かせるのだと
祈るように花は
その白い花びらに刻んだのだ
              2014/03/07

明けましておめでとうございます。◆詩「手」

◆11月の終わり頃から気になってくる。12月に入ると、こんなに忙しいのにとぼやきたくなる。そして、年の瀬に近くなってくると、書かずに年を越す方法はないものかと考えはじめる。年を越して、いただいたものにだけ書こうかと思いながらも、結局どうにか出して、どうにか年を越す。年賀状のことだ。◆十年ほど前から年賀状に対する考えを変えた。今年一番最初のプレゼントにすれば良いのだと。私は詩人なので、もちろんプレゼントは「詩」。数日かけて、ああでもないこうでもないと詩を書き、何日も足を運んで写真を撮ってくる。そして、写真に詩を添えて年賀カードを時間をかけて丁寧に作る。添え書きなどはしないが、これが年頭の心尽くしの詩人からのプレゼント。今日はそのプレゼントを。今年もよろしくお願いいたします。
2014年年賀状完成L


        藤川幸之助
にぎりつつみすくい
かぞえなぐってさししめし
さすりなでてはおしつぶし
まねきさえぎりほうりなげ
この手はいろいろやってきた

ふと気がつけば
この手はいつも空っぽで
大事なものは
この手につかめぬものばかり

だけど私はつかみつづける
つかめぬものを感じるため
手放すことが
つかむことより先にあることを
この手にしっかり分からせるため

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