愛しみ*詩「〈幸せの小さな粒〉が」

〈幸せの小さな粒〉が
     藤川幸之助
どうやっても
自分の思い通りにならないことがある
誤解されたまま文句を言われ
非難されることもある
どれだけがんばっても
どうにもこうにもがんじがらめで
進めない時もある
そんな時は
歯を食いしばり
しっかりと言葉を自分の中に閉じこめる
口を閉じ、ただただ歯を食いしばる
しっかりと歯をかみ合わせ
自分自身を食いしばる
すると
プツンとつぶれる音がする
そして中から
ほんの小さな幸せが
ちょこっと広がるのだ
〈幸せの小さな粒〉が
プツンとはじけて広がる
かすかな音が聞こえるのだ
そんな時こそじっと歯を食いしばれと
かすかな音が聞こえてくるのだ
           詩集『やわらかなまっすぐ』に関連文
◆この詩の更新日時を調べると、「2003年10月18日」となっている。十数年前に書いた詩だ。父が亡くなり、母の認知症の病状が進む中、妻の癌が悪化し、教師を辞めたばかりの私の精神は混乱の極みだったように思う。◆「苦悩は、それ自体、すでに一つの業績である。そして、正しく悩み抜かれた苦悩は、悩める人に、成長をもたらしてくれる」*このヴィクトール・フランクルの言葉を、自分自身をなだめるように何度も何度も繰り返して読んでいたように思う。◆そんな時、「愛しみ」と書いて、「かなしみ」と読むことを知った。意味は「いとおしむこと」なのだろうが、悲しみや不安に打ちひしがれていた私にとっては一筋の光のように思えた。◆「かなしみ」の中にも「愛」があると。こんなに混乱しているが、愛する気持ちは揺らいでいないと。ここでじっと歯を食いしばっていれば、愛で包まれる日が来るかもしれないと思った。言葉の力に支えられた日々であった。    【詩・文・写真:藤川幸之助】 *諸富祥彦・訳
言葉14-001

不便さ故に保たれてきたこと*詩「細い道」

◆日毎歩く海沿いの細い道がある。一人が通れるほどの細い道なもんだから、行き交う人々は待ちつ、待たれつ、交互に通ってゆく。この情景を詩に書こうと1年ほど前から思っていたが、待てども待てどもなかなか私の心の中で詩が生まれてくれない。◆そんな時、友人が列車で往復4時間半をかけて、職場へ通いはじめたと聞いた。不便だけれど、この友人のこの4時間半は豊かな時間だなあと思った。そして、「便利さ故に忘れていたこと/不便さ故に保たれてきたこと」というフレーズが浮かんで、詩が出来上がった。今日はその詩とその詩にとても相性が良さそうな拙文があるので、一緒に読んでいただきたい。◆◆◆時代劇を見ていたら、長屋の安兵衛さんが病気になった。長屋中は大騒ぎで、ある者は戸板で彼を運び、ある者は医者の元へ走り、ある者は彼の手を握り励ましていた。不便さ故に人と人とのつながりが必要だった。現在ならば電話一本で救急車が来て、誰にも迷惑をかけず病院へ行ける。便利さ故に人と人とのつながりが見えなくなってしまった。◆人と人とのつながりが薄くなったこの社会の中で、超高齢化とか、認知症の介護とかの問題は、この社会において足かせのようなものだと捉えられがちであるが、実は便利さによって隠れて見えなかった人と人とのつながりを取り戻す良い機会ではないかと私は思うのである。どんなに便利な社会になっても、自分一人では乗り越えられないことがあり、弱い自分に気づくこと。これが、コミュニティー再生の鍵だと思うのだ。(詩・文・写真=藤川幸之助)

細い道
  藤川幸之助
この道を通るとき
人と人とはゆずり合う
細く一人が通るのに
やっとの広さだから

そして、顔を見合わせ
人と人とは挨拶を交わす
この道が細い道でよかったと
すれ違う人を待ちながら
時には待たせながら
思うようになった

便利さ故に忘れていたこと
不便さ故に保たれてきたこと
人に向けられた日毎の
ささやかな思いが
この道を細いままにした

静かに交わされる
言葉と言葉の間を
波音が優しく通り過ぎてゆく
私は毎朝海沿いの
細いこの一本の道を通る
        2014.7.11書き下ろし
天国への階段

ノンバーバルコミュニケーション*詩「靴音」

◆「眼聴耳視(げんちようじし)」という言葉がある。陶芸家・河井寛次郎の造語だ。眼(目)で聴(聞)き、耳で視(見)るということ。目で聞くことなら、24年間やってきた。認知症で言葉を失った母を見つめることで、母の言葉にならない心を聞いてきた。一方、耳で見るとは今日の詩「靴音」のようなもの。◆言語以外の手段を用いたコミュニケーションをノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)と言い、視線や身振り、表情などでのコミュニケーションもその中に入る。◆視線や身振り、表情などノンバーバルなもので相手の心を感じるとき、言葉よりももっと深く、もっと近くに、時にはもっと遠くにその人を感じるときがある。◆今日の詩の中に出てくる「靴音」も、それをもってその人を分かろうとするならば、ノンバーバルコミュニケーションの一つになるだろう。その音の持つ意味、いやその音に通じるその人の存在に耳を澄ます。ノンバーバルなものはイマジネーションをとても刺激する。{言葉・詩・写真・藤川幸之助}

靴音  
           藤川幸之助
靴音であなたかどうかが
私には分かります

靴音であなたが
喜んでいるのが分かります

靴音であなたが
しょげているのが分かります

靴音であなたが
怒っているのが分かります

靴音であなたかどうかが
私には分かるようになりました

今まであなたとこの今を
大切に生きてきたからです

靴音が遠ざかってゆきます
あなたが私から離れてゆくのが分かります

靴音が近づいてきます
あなたが私に近づいてくるのが分かります

靴音で私があなたを
とても愛していることが
私には分かるのです
                2014/06/25書き下ろし 
言葉facebook02

「幸」は手枷(てかせ)のこと*詩「空は答える」

◆「幸」の反対は?と問われたらなんと答えます?私の場合自分の名前の中心に「幸」が鎮座し、毎日のように書いているので、その答えは容易に分かる。答えは「幸」。この漢字の左右を反対にしても、見ようによっては上下を反対にしても「幸」になるのだ。幸せは反対にしても幸せのままで、決して不幸などではない。◆しかし、この「幸」という漢字は不幸の星の下に生まれているようだ。もともとこの「幸」は手枷(てかせ)の形を表す漢字らしい。人から自由を奪う刑の道具が「幸」とは面白い。「幸」はめられていない「手枷」がそこにあるということ。手枷をはめられる危険を危うくのがれた幸運を表しているらしい。幸せというものは、手枷足枷のようにいつもとらわれて考えていると、人は自由を失っていくと言いかえるのは、言い過ぎか。◆認知症の母の介護をはじめた頃、こんな毎日がいつまで続くのだろうかと思っていた。こんな毎日に幸せなんてない、いつになったら幸せになれるのだと思っていた。しかし、振り返ると私を思い悩ませ自由を奪っていたそんな日々こそが、私の手枷足枷であり、つまり「幸」だったのだともこの漢字は教えてくれる。◆「苦をなくすことが、むしろ人間が人間になっていくことを奪ってしまう」という哲学者・鷲田清一さんの言葉を思い出す。私も母の介護という経験から、少しは一人前の人間になっているのかもしれない。これを幸せと言わずして何を幸せというのか。
【詩・エッセ・写真 藤川幸之助】

空は答える
       藤川幸之助

きみは、空の私を見上げて聞く。
幸せって
この壁の向こう側に落ちているのかと。
空の私は答える。
壁の向こう側は、きみのそちら側と
まったく同じだと。

きみは、空の私を見上げて尋ねる。
それじゃ幸せって
あの山の向こう側から鳥が背中に乗せて運んでくるのかと。
空の私は答える。
山の向こう側は、きみのいるそちら側と
そんなに変わらないのだと。

きみは、また空の私を見上げて聞く。
幸せって
その雲の裏側にかくれているのかと。
空の私は答える。
雲のこちら側は、ただ雲が白く広がっているだけだ
ほかに何もないと。

きみは私に尋ねる。
幸せって
トンネルの向こう側からトランクに入れて人が運んでくるのかと。
空の私は答える。
トンネルの向こう側の人もきみと
同じような事を言っているのだと。

きみは、海に映った空の私に尋ねる。
ならば、悲しみって
西の水平線の向こう側に夕日といっしょに沈んでしまうのかと。
私は答える。
水平線の向こう側には、きみの見ている水平線と
まったく同じ水平線があるだけだと。

きみはまた空の私を見上げて尋ねる。
幸せってなんですか?と。
私は答える。
きみの笑顔を見ると、
私はとても幸せになるんだと。
きみは空の私を静かに見上げて
「これが幸せというものなのですか」とほほえむ。
空の私は高く青く輝く。

 詩集『やわらかなまっすぐ』(2007年・PHP出版)の詩「幸せ」を改題リライト
DSC_7488

メラビアンの法則*詩「父の分まで」

◆メラビアンの法則とは、アメリカの心理学者・アルバート・メラビアン(Albert Mehrabian)が調査の結果から導き出した法則だ(メラビアンの「7-38-55のルール」)。人と人とが直接顔を合わせるコミュニケーションには、言語、声のトーン、ボディーランゲージの三つの基本的な要素があり、これらの要素が矛盾した内容を送っているとき、言葉がメッセージ伝達に占める割合は7 %、声のトーンや口調は38 %、ボディーランゲージは55 %であったという法則。◆例えば、嫌な顔をしながら、目線を合わせず、気乗りのしない声で「あなたを愛しているよ」という言葉を言った場合、「愛している」という言葉より、嫌な顔をしながら、目線を合わせず、気乗りのしない声のイメージの方が伝わっているというもの。このように好意(実は反感を伝える場合も)を相手に伝えるとき、コミュニケーションを効果的にするためには、これら三つの要素が互いに支えあい、三つの要素は一致する必要があるというものだ。愛を伝える時は「目は口ほどにものを言う」のである。◆父は認知症の母に接するときはいつもいつも笑顔だった。どんなことがあろうと母を見つめるときだけは、表情は笑顔に一変し、父は優しいまなざしで母を見つめ、母をしっかりと抱きしめた。母は認知症と診断された初期の頃から言葉がなかったけれども、優しい口調で父は母に語りかけていた。メラビアンの法則に当てはめれば、母に言葉が分からなくても父から母に伝わった愛のメッセージはしっかりと伝わっているということになるのだろうか。◆あるフォーラムの後、東京医科大教授・岩本俊彦さんから興味深いことを聞いた。岩本さんによると、介護の際、お年寄りに笑顔で接すると、お年寄りがとても落ち着き、認知症の周辺症状(徘徊など)が少なくなっていくのだそうだ。◆そういえば、父が母を介護しているときは、母の徘徊は全くなかった。他の周辺症状もあまり見なかったように思う。情けないことに徘徊などが多くなったのは私が母の介護を始めてからだ。父の笑顔は母にとって温かく安らげる場所であったに違いない。認知症で世界が分からなくなっていく自覚のあった母にとって、不安と恐怖と悲しさだらけのこの世界の中で、父の笑顔は自分を優しく照らしてくれる唯一の灯りだったのではないかと思うのである。
{言葉・詩・写真・藤川幸之助}

父の分まで
         藤川幸之助
父はいつも手をつないで
認知症の母を連れて歩いた。
「何が恥ずかしいもんか
 おれの大切な人だもの」
父の口癖だった。

立ち止まっては
いつも母に優しいまなざしを向けて
「大好きなお母さん
 ずっと側におるよ
 死ぬときはいっしょたい」
と、父はいつも言った。
母は屈託のない笑顔を父に返した。

父は過労でぽっくりと逝き
母と一緒にあの世へは行けなかった。
父をまねて母の手を握る。
母の手はいつも冷たい。
私の温かさが母へ伝わっていくのが分かる。
伝わっていくのは言葉ではない。
父をまねて母を笑顔で見つめる。
母は嬉しそうに私を見つめ返す。
伝わってくるのも言葉ではない。

父をまねて
言葉のない母の心の声を聞こうとする。
言葉のない母の心の痛みを感じようとする。
分からないかもしれない。
でも私は分かろうとする。
手をつなぎ、母を見つめて
私は父の分まで母を分かろうとする。

言葉facebook