認知症ケア学会*詩「母の遺言」

【第20回日本認知症ケア学会大会*詩「母の遺言」】
投稿日時: 2015年05月22日 投稿者: 藤川幸之助
◆この5月25日〜26日に京都で第20回認知症ケア学会大会が開催されました。年を追って参加者も増え、主催者によると今年は6,151人の参加があったとのことでした。◆私は毎年この大会で講演と「未来を作る子どもたちの作文コンクール」の選考委員長をさせていただいていますが、今年は5月26日に「特別講演7」とこの作文コンクールの選考経過報告をいたしました。。◆『認知症の人と「この今」を生きる〜存在に耳をすますということ〜』という演題で1時間の講演をしました。朝早くからの講演でしたが700人の会場で立ち見の方が出るほどの多くの方に聞きに来ていただき、心より感謝いたします。◆今日の詩は、その講演の最後に朗読した「母の遺言」という詩を掲載します。この詩は「看取り」ということをテーマに書いた詩です。この言葉は「最期を看取る」というように使われ、そのことが強調されるあまり、最期を共にすることが「看取り」と考えられがちですが、「看取り」とは本来、病人の世話をすることや看病することなど、命に向かい合うことを表す言葉のようです。その語源をひもとくと、「見て写しとること」です。命を目の前に人はその命を自分自身に写しとっているのだと思います。
©Konosuke Fujikawa

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遺言
藤川幸之助

二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた

残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった

最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた

死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
©Konosuke Fujikawa

【詩・写真*藤川幸之助】
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【一年の終わりは*詩「冬を選んで」】

◆「さざんかは/名残の花や/七日粥」という渡辺水巴の俳句がある。結句が七日粥なので、サザンカは楽しかった「正月の名残」の花なのだろうと思っていた。◆今日ふと北国・富山を舞台にした宮本輝の「螢川」の一節を思い出した。「一年を終えるとあたかも冬こそ全てであったように思われる。」というもの。水巴はサザンカを見つめながら「この一年」を名残んでいたのではないかと思い直した。◆青森で車窓を見ながら「雪は大変ですね」と尋ねると、「大変ですが、春は必ず来ますから」とのタクシー運転手の言葉を思い出す。厳しい寒さに耐え、大変な思いをして乗り越えた春はまた格別なものなのだろう。◆一年の始まりはと問われたら一も二もなく「元日だ」と私は答えるが、北国の人にとっては一年は春に始まり、冬に終わるにちがいない。今は新しい年の始まりの月でもあるが、一年の終わりの季節なのだと改めて感じた。◆私にとって今まで花の開花が春の兆しであった。なかんづく白木蓮を見ると一掬の春の気配を感じていたが、今年は少しばかり違う。サザンカの花が一つ一つ落ちていく姿に一歩一歩春を感じるようになった。では、最後に駄句を一つ。山茶花や/拠り立つところ/散り染めて*幸之助 最後に詩「冬を選んで咲く花は」

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冬を選んで咲く花は* 藤川幸之助

冬を選んで咲く花は
雪の白さに咲く花よ
風のぬくみを知る花よ

冬を選んで咲く花は
不言色した明日掬す
赤い花弁を持つ花よ

冬を選んで咲く花は
寒さ選んで咲く花よ
生きる証を持つ花よ

冬を選んで咲く花は
ハラハラハラと散り染めて
春には去っていぬ花よ

2018年新年ご挨拶03

詩に曲がつきました*詩「扉」

◆私の詩「扉」に曲がつきました。曲付きの「扉」は岐阜県グループホーム協議会が、「一般の方々にグループホームとはどんなものなのか」を伝えたいとのご意向で作られたDVDに収められています。岐阜県グループホーム協議会の井戸孝憲さんが作曲して、ご自身で歌ってらっしゃいます。私も校歌の作曲などをするなど作曲もしますので、この著作使用依頼をいただいたとき、どのような作曲になるのかとても楽しみでした。YouTubeで公開されていますので、クリックして、今日はその詩も掲載していますので、是非ご覧ください。◆また、当サイト内の「講演実績」が見やすくなりました。サイト内のホームページの「講演会」に入って、「実績」をクリックしていただくと都道府県別の講演回数を表す日本地図が現れますが、その都道府県をクリックすると、過去の講演日、場所など講演会情報をご覧になれます。また、「実績」の下の「開催済」をクリックしていただくと、これまでの講演会を全てご覧になることができます。どうぞご覧ください。http://www.k-fujikawa.net/kouen_kiroku.php

扉(とびら)   藤川幸之助

認知症の母を
老人ホームに入れた。
認知症の老人たちの中で
静かに座って私を見つめる母が
涙の向こう側にぼんやり見えた。
私が帰ろうとすると
何も分かるはずもない母が
私の手をぎゅっとつかんだ。
そしてどこまでもどこまでも
私の後をついてきた。

私がホームから帰ってしまうと
私が出ていった重い扉の前に
母はぴったりとくっついて
ずっとその扉を見つめているんだと聞いた。
それでも
母を老人ホームに入れたまま
私は帰る。
母にとっては重い重い扉を
私はひょいと開けて
また今日も帰る。
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)


【詩*藤川幸之助】
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生かされている私*詩「桜の家」

◆この五月は多忙だった。絵本の原稿を書きながら、仙台空港に向かって宮城の七ヶ浜で講演をした。講演会場から遠くに見える海を見て、東日本大震災の悲しみが胸に迫った。◆講演を終えて長崎に帰ると、前々から指摘されていた心臓の具合が良くない。病院に行くと緊急に治療を勧められた。次の日、カテーテル手術で心臓の冠動脈にステントを2本入れてもらい、三泊四日で退院して、北海道に向かった。◆北海道の新得町と清水町で講演をした。旬のアスパラも行者ニンニクもいただいた。この2回の講演で北海道の講演回数が41回になった。帰りに帯広で「中華チラシ」を食べて、帯広の三大名物を制覇した(他の2食は豚丼、インディアンカレー)。◆何か子どもの書いた日記のようになったが、講演の合間に手術をして、いつも通りに過ごしている自分を見て、医学の進歩を深く感じた。自分のこの命が多くの人たちに支えられて、ここに生かされていることを改めてしみじみ思う。この週末は沖縄での認知症ケア学会での講演だ。2009年11月以来の沖縄での講演。【沖縄の方々、久しぶりの講演です。お誘い合わせの上ご参加ください(詳細は以下)。】◆今日の詩は、宮城の七ヶ浜での講演で「桜の家」という施設に書き下ろした詩をどうぞ。2017/05/25

◆藤川幸之助・講演 (日本認知症ケア学会・特別講演4)
 認知症の人と「この今」を生きる〜存在に耳をすますということ〜
◆2017年5月27日 (土) AM 9:00〜AM10:00
◆会場 沖縄県宜野湾市 沖縄コンベンションセンター・会議棟A/第2会場
問い合わせ  認知症ケア学会 電話:03-5206-7431

命が命を生かす瞬間より

桜の家    「七ヶ浜桜の家」開設記念に

  藤川幸之助
こんなにも繰り返すのに
こんなにも待ち遠しい

桜の花びらの舞い散る
桜色の道を歩くときまって
あなたに手を引かれて
小学校の門をくぐった
日のことを思い出す
母の手を強くにぎって
私ははなさなかった

今は春が来るごとに
あなたの手を引いて花見に行く
あなたは桜を見上げて
あーあーと声を上げる
私の手を強くにぎって

引いた側が引かれて
支えた側が支えられ
叱った側が叱られて
守った側が守られて
花びらの向こう側に
愛することがじっと佇んでいる
桜の花の淡い色の中で
時間だけが
静かに行ったり来たりする

こんなにも繰り返すのに
こんなにも待ち遠しい
桜の家
 2017.05.12

一筋の春風*詩「桜」

◆私の住む長崎ではツツジが開きはじめたが、今日、北海道の南端の松前町で桜が開花したと聞いた。春は始まりの季節。新たに志を抱きながらも、これから始まることへの不安を抱える季節でもある。だから、人は桜の花の淡い色に、人それぞれいろんな思い出や思いを重ねるのだろうか。◆3月の頭ぐらいから左目が見えづらくなった。歪んで見えたり欠けて見えたりしたので病院に行くと、原因が分からないと大学病院で再検査をしたが、なかなか原因が分からない。4月に入っても検査検査の繰り返しで、桜のことなどすっかり忘れていた。◆その日も、検査のため大学病院へ続く坂道を登っていると、たまさかに坂の上からの一筋の風が吹き、私は花吹雪に包まれた。目が見えづらいときにこんなに美しい春の色に包まれるとは皮肉なことだが、春は見るものではなく感じるものだと改めて感じた。今年の病院のこの桜との事をいつか思い出すことがあるのかもしれない。◆認知症の母の介護は24年間。私の人生のだいたい半分は、母の病気につきあってきたことになる。春になるごとに、毎年毎年今年が最後になるかもしれないと思いながら、母を花見に連れて行った。だから、春の桜の思い出は母とのが多いのも至極当たり前のこと。母が亡くなってもう5回目の春だというのに、淡い桜の花びらを見るとまだまだ母を思い出す。今日は、詩「桜」を。2017/04/24藤川幸之助

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         藤川幸之助
目の前の春は一つでした
目の前の桜も一本でした
母が認知症になる前は

今、私には桜の花びらが
幾重にも重なって見えます
今年の桜の花びら
その奥に去年の桜
そのまた奥におととしの桜
その一番奥には
母が認知症になった二十一年前の桜
鮮やかにはらはらと
重なり重なり散っています

それらの春の花見のどこかで
ウロウロしている母に
「母さん、どこへ行くの?」って
聞いたこことがありました
「お墓へ行きます」
と、母が言うと
「いっしょに行くぞ、母さん」
と、父は笑って言っていました

そんな父がふと
春になると
魂のような淡い色で
桜の枝に現れるのです
それまでどこに桜の樹があるのかさえ
すっかり忘れていたのに
だから、本当は嫌いなんです
この季節が
父が母を迎えに来ているようで
言葉のない母の心の
本当のところを見るようで
     藤川幸之助詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)