詩「母の日記」◆あの子は優しい子

「母の日記」
       藤川幸之助
 認知症が進む中でも、
 母は日記を書き続けていた。
 日記は、毎日同じ文面で始まり、
 幾行かの出来事が書いてあって、
 毎日同じ文面で終わっていた。
 時には前の日の日記を
 そのまま写しているときもあった。

 「知っているんだけど」と前置きしながら、
 簡単な字を何度も何度も聞く母。
 優しく教える父。
 私が日記をのぞくと
 母は怒ったように
 書くのをやめてしまっていた。

 日がたつにつれて、
 字のふるえがひどくなり、
 誤字や脱字が目立ち、
 意味不明の文が増えていく。

 もう日記なんて書かなくなった母。
 私はそんな母の日記をくりながら、
 自分の名前の書いてある箇所だけを探す。
 どんなにか母に心配をかけてたことにも、
 ひどく母と言い争ったときにも、
 私の部分には、
 「あの子はやさしい子だから」と
 書き添えてある。
 いつか私が母の日記を読む日が
 来るのを知っていたかのように
 「あの子はやさしい子だから大丈夫」と
 必ず書き添えてある。
  『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)を加筆訂正
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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◆十数冊の日記が私の手元に残っている。認知症と診断されるずっと前から母が書き綴ったものだ。「あの子はやさしい子だから大丈夫」という言葉は過去に母が書いた言葉だが、思い出すたび遠く未来の彼方から私を導くように心に響く。「しっかり自分の人生を歩め」と。
母の日記写真

©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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詩「約束」◆ライスカレー

「約束」            藤川幸之助

今度帰るときには
ライスカレーを作っておくからと
嬉しそうに母は約束した。
久しぶりに実家に帰ってみると
約束通りライスカレーが
テーブルの上においてあった。
食べると母の味つけではない。
レトルトのカレーとハンバーグを
皿に盛りつけただけのものだと
すぐに分かった。
「お母さんのカレーはうまか」
大げさに父は言っている。
「これ母さんレトルトだろ?」
私は不機嫌に言った。
「二つとも時間をかけて作ったんよ」
母は言い張った。
「ちがうよこれは母さんのカレーじゃないよ」
「お母さんのカレーはうまか」
母の方を向いて大声でまた父が言ったので
私も意地になって言い返えそうとした時
「お母さんのカレーはうまか」
父が私をにらみつけて言った。

母が風呂に入って
父と二人っきりになった。
料理の作り方を忘れてしまって
自分から作ろうとはしない母の話を聞いた。
母が私とのライスカレーの約束の話を
父に何度も何度も話すのだそうだ。
母に代わって私のためにレトルトのカレーを
父が用意してくれていた。
「お父さんにしては盛りつけが上手」
私は父にお世辞を言った。
父は嬉しそうに笑った。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】

ライスカレー
◆「お前は幸せ者だなあ。」と父はよく言っていた。私が帰省するとなると、認知症の母が人参とジャガイモを両手でにぎりしめて、「幸之助にライスカレーを」と台所をうろうろ始めるのだそうだ。「認知症になってもお母さんはお前の好物のカレーのことは忘れてないぞ。お前を愛する心はまだお母さんの心の中に生きとるぞ。」と父はいつも嬉しそうに言っていた。認知症なっても忘れ去ることのできないものがあり、認知症でも消し去ることのできないものがあることを知った。今日はそのライスカレーの詩「約束」を。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】

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詩「細い道」◆便利さ故に忘れていたこと

◆ある日、TVの時代劇の中でのことだ。長屋に住むある男が急に腹痛に襲われ、痛みに耐えかねて大声を出していた。すると、長屋の住人がこぞって集まって、ある者は男を運ぶ戸板を用意し、ある者は町医者のもとに走り、ある者は運ばれていく男の手を握り励まし、力を合わせて男を病院へ運んでいた。◆現代ではアパートの壁は厚く、痛がる男の声も聞こえない上に、電話一本で救急車が来て、あたかもこんな時には人のこの「つながり」など必要ないのかのように見える。しかし、介護や認知症の問題はこの「つながり」をもう一度見直す機会のように思う。介護や認知症の問題は決して一人で乗り越えられる山ではない。この詩の中に書いている「便利さ故に忘れていたこと/不便さ故に保たれてきたこと」というフレーズが思い浮かんだ。今日はこの詩「細い道」を。
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細い道
  藤川幸之助
ここを通るとき
人と人とはゆずり合う
一人が通るのに
やっとの広さの細い道
顔を見合わせ
人と人とは挨拶を交わす
この道が細い道でよかったと
すれ違う人を待ちながら
時には待たせながら
思うようになった
便利さ故に忘れていたこと
不便さ故に保たれてきたこと
人に向けられた日毎の
ささやかな思いが
この道を細いままにした
静かに交わされる
言葉と言葉の間を
波音が優しく通り過ぎてゆく
私は毎朝海沿いの
細いこの一本の道を通る
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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【詩「領収書」◆7月の講演会】

◆母が認知症と診断された頃は、父も心臓病を患っていた。母がアルツハイマー病だと分かった時、「残された命を全てキヨ子のためにつかうつもりだ。」と母を優しく見つめて父が言った。母の事を書いた私の詩を父の物語として読む読者もいるらしい。今日はその父のことを書いた詩「領収書」をどうぞ。◆7月は熊本市と北海道・栗山町に講演に行きます。お近くの皆さんは是非聞きに来てください。

領収証  藤川幸之助

父は
おしめ一つ買うにも
弁当を二つ買うにも
領収証をもらった
そして
帰ってからノートに明細を書いた
「二人でためたお金だもの
母さんが理解できなくても
母さんに見せないといけないから」
と領収証をノートの終わりに貼る父
そのノートの始まりには
墨で「誠実なる生活」と父は書いていた

私も領収証をもらう
そして母のノートの終わりに貼る
母には理解できないだろうけれど
母へ見せるために
死んでしまったけれど
父へ見せるために
アルツハイマーの薬ができたら
母に飲ませるんだと
父が誠実な生活をして
貯めたわずかばかりのお金を
母の代わりに預かる
母が死んで
父に出会ったとき
「二人のお金はこんな風に使いましたよ」
と母がきちんと言えるように
領収証を切ってもらう

私はノートの始めに
「母を幸せにするために」
と書いている
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
©Konosuke Fujikawa
【詩・文*藤川幸之助】

【講演会のご案内】
◆2019年7月7日 (日) AM10:00〜AM11:30
【会場】 熊本県熊本市 くまもと森都心プラザ
【講演内容】支える側が支えられるとき
〜認知症の母が教えてくれたこと〜
【問い合わせ】熊本県腎不全看護研究会
済生会熊本病院・血液浄化センター内
TEL 096-351-8093
【詳細】http://plaza.umin.ac.jp/knna/index.html

◆2019年7月30日(火)14:00〜16:00
【会場】 くりやまカルチャープラザEki
北海道夕張郡栗山町中央2丁目1
【講演内容】支える側が支えられるとき
〜認知症の母が教えてくれたこと〜
【問い合わせ】北海道栗山町立・北海道介護福祉学校
【電話】0123-72-6060

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海容◆詩「静かな長い夜」

【海容という言葉◆詩「静かな長い夜」】
投稿日時: 2015年06月21日 投稿者: 藤川幸之助

■認知症の母を前に、私はいつもじたばたした。そんな私を、母は海のように静かに見つめていた。そんな母の瞳を思い出す。「海容」という言葉がある。海のような広い心を以て、人を許すこと。広く物を容れる海の様子からできた言葉。許し合うことで、人は一つの海になっていくのかもしれない。海に真っ青な空がくっきりと映り、海と空とが一つに溶け合おうとする姿が目に浮かぶ。海容の「容」という字には、「受け入れる」という意味もあるらしい。母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、ますますその生の青さを深くしていったのだろう。◆「今日の詩」はいつも講演時間に余裕がなくて、詩の朗読のセットリストに入れていてもなかなか朗読できない詩「静かな長い夜」をお届けします。

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静かな長い夜
藤川幸之助
母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないで私を見つめる。

二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
おれがかがなくちゃなんないんだ」

「お母さんはよく分かっているんだよ」
と他人(ひと)は言ってくれるけれど
何にも分かっちゃいないと思う。

夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪(な)いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)に関連文

©Konosuke Fujikawa

【詩・写真*藤川幸之助】
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