詩「手ずから屋」◆長崎原爆の日

◆今日も長崎市では路面電車がチンチンと警笛をならし、ガタゴトと通りさっていきます。稲佐山からは美しい長崎の街並みが広がっています。1945年8月9日午前11時02分、長崎市へ原子爆弾が投下されました。今感じているこんな何の変哲もないけれど大切な日が、一瞬にして消え去りました。亡くなった方々の無念、家族を亡くされた方々の悲しさ、傷を負った方々の痛み、被爆しながら生き続ける方々の心の傷、今日はその一人ひとりの方々の命の重みを心に刻み、長崎から戦争のない「平和」を祈る日です。2019年08月09日11:02

手ずから屋
  藤川幸之助
手ずから屋という店がある。
店主が手ずから作った
小間物等を並べ売る小さな店だ。
ショーウィンドーには
それ越しの商品と重なって
私の姿が映っている。
私の後ろには長崎の街並みが
一番奥には稲佐山が
この街を見下ろしている。

おーい!どうだ。
活気ある美しい街だろう。
一瞬にして
七万四千人が亡くなり
焼け野原になった
あの日あの時から七十数年間
一人一人が命をつなぎ
手ずから作ってきた街並みだ。
忘れられないことは
少しずつ涙でとかし
忘れてはならいないことは
手ずから心に刻んできた。

店の一番奥には
八十ばかりの店主がいて
その一つ手前に「平和」と
書いた色紙が飾ってあった。
「これ、ください。」と手に取ると
「私たちが手ずから作ってきた
 大切なもんやけん
 譲ることはできんとばい。」
と、店主は微笑んで断ったのだ。

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©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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詩「バス停のイス」◆人を支える

バス停のイス
藤川幸之助

バス停にほったらかしの
雨ざらしのあの木のイス。
今にもバラバラに
ほどけてしまいそうな
あのイス。

バスを待つ人を座らせ
歩き疲れた老人を憩(いこ)わせ
バスに乗らない若者の談笑につきあい
時にはじゃま者扱いされ
けっとばされ
毎日のように
学校帰りの子どもを楽しませる。

支える。
支える。
崩(くず)れていく自分を
必死に支えながらも
人を支え続け
「それが私なんだもの」とつぶやく。

そのイスに座り
そのつぶやきが聞こえた日は
どれだけ人を愛したかを
一日の終わり静かに考える。
少しばかり木のイスの余韻(よいん)を
尻のあたりに感じながら
〈愛〉の形について考える。
©Konosuke Fujikawa
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
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言葉8
■自分の意に染まない状況になると、全く受け入れることなしに、そこから逃げることばかり考えた。母の介護をすることになったときも、そうだった。何で私ばかりこんな役が回ってくるのかと、いつも悶々としていた。この詩は、そんな時に、バスの中から見た光景。壊れかけたイス数脚。それに腰掛け、数人の若者が談笑していた。イスは、人を腰掛けさせ、人を支えるためだけに生まれてくる。もしも、私がイスに生まれていたら、「それが私なんだもの」と言えるはずもなく、いつも恨み言ばかりだろうなあと思った。しかし、逃げようともがきながらも、認知症の母の世話をしているうちに、私の人生から「人を支えること」を差し引いたら、何も残らないと思った。この詩を書くことでさえ、人を支えるときがあるではないか。イスだけではなく、人もまた人を支えるために生まれ、人と関わり、人を支え、つながることで、人は人となり得ていくのだ。イスを見て、いつもその思いを確かめる。
©Konosuke Fujikawa【詩・文*藤川幸之助】
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詩「おむつ」◆老いた父の大変さ

おむつ
      藤川幸之助
認知症の母が車の中でウンコをした
臭いが車に充満した
おむつからしみ出て
車のシートにウンコが染み込んだ
急いでトイレを探し男子トイレで
尻の始末(しまつ)をした

母を立たせたまま
おむつを替える
狭い便所の中で
母のスカートをおろす
まだ母は恥ずかしがる
「おとなしくしとかんとだめよ」
母のお尻をポンポンとたたいてみた
子供の頃のお返しのようで
少し嬉しくなった

母のお尻についたウンコを
ティッシュで何度も何度も拭いてやる
かぶれないように拭いてやる
母が私のウンコを拭いてくれたように
私は母で
母は私で

母の死を私のものとして見つめる
私の死を母のものとして見つめてみる
母と一緒に死を見つめてみる
狭い棺桶のような直方体の
白い便所の中で

鍵を開け母の手を引いて
便所から出る
そして
左手で母をつかまえたまま
私も便器に向かい
右の手で小便を済ませた
      詩集『マザー』(ポプラ社)

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おむつ
■鍵をかけた狭い男子トイレの中で、母を立たせたままおむつを替えていると、母が大声を出した。替えている側から、おしっこをした。うんこの付いたお尻を触ろうとした。仕舞にはしゃがんでおしめを替えている私の頭によだれが垂れてきた。「おれの母さんなんだろう!しっかりしろ!」とおしめを投げ出し、母をにらんだ。父が生きていたときは、母の介護を全て老いた父に任せっきりだった。やっと父の大変さが実感できた時だった。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】
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詩「扉」◆むき出しの母の心


   藤川幸之助
認知症の母を
老人ホームに入れた。

認知症の老人たちの中で
静かに座って私を見つめる母が
涙の向こう側にぼんやり見えた。
私が帰ろうとすると
何も分かるはずもない母が
私の手をぎゅっとつかんだ。
そしてどこまでもどこまでも
私の後をついてきた。

私がホームから帰ってしまうと
私が出ていった重い扉の前に
母はぴったりとくっついて
ずっとその扉を見つめているんだと聞いた。

それでも
母を老人ホームに入れたまま
私は帰る。
母にとっては重い重い扉を
私はひょいと開けて
また今日も帰る。
詩集『マザー』ポプラ社より

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扉寒色 (1)
■私が施設を去った後、私が出て行った扉の前を母は離れようとせず、時には二時間もそこに立っていると施設の人に聞いた。認知症が進んで母は何も分かっちゃいないと思っていたからこそ、何か安心していたところが私にはあったが、この話を聞いてからこの扉は言葉を失った母のむき出しの心に見えるようになった。本当は私にとっても「重い重い扉」になったのだ。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】
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詩「手帳」◆哀しい笑顔

「手帳」
        藤川幸之助
母が決して誰にも見せなかった
黒い鉛筆付きの手帳がある。
いつもバッグの底深く沈め
寝るときは枕元に置き
見張るように母は寝た。
その手帳が
今私の手の上に乗っている。

父の名前、兄の名前、私の名前。
手帳には、びっしりと
忘れてはならぬ名前が書いてある。
そして、手帳の最後には
自分自身の名前が、ふりがなを付けて
どの名前よりも大きく書いてあり
その名前の上には、何度も鉛筆でなぞった跡。
母は何度も何度も
自分の名前を覚え直しながら
これが本当に自分の名前なんだろうかと
薄れゆく自分の記憶に
ほとほといやになっていたに違いない。
母の名前の下には
鉛筆を拳(こぶし)で握って押しつけなければ
付かないような黒点が
二・三枚下の紙も凹ませるくらい
くっきりと残っている。


父・母・兄・私の四人で話をしていたとき
母は自分の話ばかりをした。
母は同じことばかりを繰り返し言った。
「同じ話ばかりするのは、やめてくれ」
と、私は母をにらみつけた。
病気とも知らず。
話について行けない母は
その場からいつの間にかいなくなっていた。

あまりに帰らないので
探しに行くと
三面鏡の前に母はいた。
自分の呼び名である「お母さん」を
何度も何度も何度も唱えていた。
記憶の中から消え去ろうとしている
自分の連れ合いの名前や
息子の名前を何度も唱え
必死に覚え直していた。
振り返った母の手には
手帳が乗っていた。
私に気づくと、母は
慌(あわ)ててカバンの中に
その手帳を押し込んだ。
その悲しい手帳が
今私の手の上に乗っている。
 『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)に関連文
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】

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手帳絵
◆父、母、兄、私の家族団らんの中で、母が自分の話ばかりをしていたのは、父と兄、私で話している内容が認知症になった母には全く分からないので、その家族の団らんの中に入るためには自分の話を切り出すしかなかったからなのだ。同じ話ばかり母がくり返し話したのも、認知症になって覚えている話が1つか2つだったからなのだ。父と兄、私で面白い話で大笑いしている時、話の内容が分からないのに、面白いかどうかも分からないのに、家族団らんの中に入らんがために一緒になって笑っていた母の哀しい笑顔を思い出す。
©Konosuke Fujikawa

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