詩「川は知っている」◆生き続ける

川は知っている
          藤川幸之助
川は憶えている
自分が生まれたあの朝のことを
いつかたどり着くあの海のことを

川は分かっている
どんなにじたばたしても
決して空へは昇れぬ自分のことを

川は感じている
流れることをやめることは
淀み、濁り、ひからび
自分でなくなってしまうことを

川は忘れない
自分の中を流れる自分自身が
ただ一瞬たりとも
同じ自分ではありえないことも

変わり続けることの中で
変えられない自分を抱きしめる
そして、ただただ川は流れる
流れなければならないわけを
川は決して問わない
流れ続けるそのことが
問うことのないその問いの答えだと
川は知っている
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】

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◆人生においてもまた、生き続けることそれ自体が「問い」であり「答え」であるように思う。母が認知症になって、私が介護をすることになった時も「なぜ?私が」と「問い」ばかりが浮かんだが、ほぞ臍を固めて受け入れたら、見たこともない自分に出会った。そこから進む道が「答え」のように明確に見えた。自分や自分の人生がかけがえのないものに見えてきたように思うのだ。
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】

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詩「皺(しわ)」◆人生を味わう

◆自転車に乗っていると、全身で道の起伏を感じます。走っている道を味わうことができるのです。人生は目的地に早く着くことでもなければ、ましてや転ばないようにうまく走ることでもないように思います。生きるということは、自転車に乗るように、その進んでいる道を感じながら喜びも悲しみさえもしっかりと味わうことではなかろうかと思うのです。
悲しみ
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「皺(しわ)」    藤川幸之助

母の病院へ自転車で向かう。
道路の起伏がよく分かる。
上り坂がくると
尻をサドルからあげて
ひとこぎひとこぎ
坂の頂上を見つめて上っていく。

上ったら下らなければならない。
下ったらまた上らなければならない。
この上り下りは
ただ平坦な道より
私の足腰を鍛える。
道の凸凹にあわせて前に進む。
道の凸凹を全身で感じる。
通りすぎる風を肌で味わう。
この道のことがよく分かってくる。

病院へ着くと
母は大きないびきをかいて眠っていた。
上り下りする額の皺と
私の知る母の人生の浮き沈みを重ねてみる。
このどこら辺で父と出会い
このどこら辺で私が生まれ
このどこら辺で母は認知症を患い
私が母のオムツを
替えはじめたのだろうかと。

いびきがあんまりうるさいので
咳払いをすると
母が顔をしかめて
額の皺を一段と深くした。
このどこら辺で母は…。
「お母さん、息ばせんばんよ。
きつか時には呼びない。
すぐ来るけんな。ゆっくり寝ないよ。」
これが生きた母に会うのは
最期になるかもしれない。
毎日必ず言って別れる
明日会うための呪文のような言葉。
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】

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【詩「花見」◆実家の親】

花見    
        藤川幸之助
たこ焼きとカンのお茶を買って
父と母と三人で花見をした
弁当屋から料理を買ってきて
花見をやればよかったねと言うと
弁当は食い飽きてね
と父が言い返した
母が認知症になり料理を作らなくなって
毎日毎日、弁当屋に行くのだそうだ
弁当屋の小さなテーブルで
毎日毎日、二人で並んで弁当を食べるのだそうだ
あの二人は仲のよかね
と病院中で評判になっているんだと
父は嬉しそうに話した

この歳になっても
誉められるのは嬉しかね
何もいらん
何もいらん
花のきれかね
よか春ね
母に言葉がいらなくなったように
父にも物や余分な飾りは
いらなくなってしまった

今年もカンのお茶とたこ焼きを買って
母と二人で花見をした
花のきれかね
よか春ね
と父の口真似をして言ってみる
独り言を言ってみる

   『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版刊)

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花見

■久しぶり実家に帰って、父からこの弁当屋での話を聞いたとき、私は父の前で涙を流してしまった。弁当屋の小さなテーブルに向かい合って座る認知症の母と老いた父の姿を、頭の中で想像するだけで、今も心の奥が強く締め付けられる。父は心臓病を患っていたが弱音を吐かなかった。私に手を貸せと一言も言わなかった。「お母さんは俺が大切にする」父の口癖だった。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】
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詩「布切れ」◆大阪市淀川区講演

◆今日の詩は詩「布切れ」です。◆8月29日(木)大阪市淀川区民センターで講演をします。お近くの方は是非聞きに来られてください。
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布切れ
  藤川幸之助
ビールを買って車に戻ってみたら
母はいなかった。
酒屋の人も一緒になって探してくれた。
見知らぬ人も一緒になって
自分のお母さんでもないのに
みんな大声で「お母さん」と叫びながら。
母は酒屋の裏の
ビールの空き瓶の山の向こう側に
隠れるように座っていた。

その夜父は母をきつくしかりつけた。
母は困った顔をした。
私は優しく抱きしめた。
母は安堵した顔をした。
と すぐにうろうろと
またどこへともなく歩きだす。
「こんな夜中母さんどこへ行くんだ」
私が母をつかまえると
父は母のはいていたズボンをサッと脱がし
名前と住所と電話番号を書いた布切れを
手際よく縫いつけはじめた。
母はそれでもどこかへ行こうとする。
「母さんそんな格好でどこへ行くつもりだ」
大きなオムツ丸出しの
アヒルのような母をつかまえて私は笑った。
母もいっしょに笑っていた。

どこへも行かないようにと
布切れを縫いつけた父は死に
どこか遠いところへ行ってしまったけれど
母は歩けなくなった今も
その布切れのついたズボンをはいて
ベッドに横になって私の側にいる。
 『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版刊)  

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散文詩「こんな所」

◆経験というトンネルをくぐることで、同じ月でも違って見えるものだと、今になって思います。今日は散文詩「こんな所」を。
トンネルの向こう側
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「こんな所」    藤川幸之助
 始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられる身体の動かない母親。大声を出して娘をしかりつけ拳で殴りつける呆けた父親。行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続ける老女。鏡に向かって叫び続け、しまいには自分の顔におこりツバを吐きかける男。うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにビクビクして、うなだれる女。
 父が入院して手に負えなくなり、初めて母を病院の隣の施設に連れて行った時、「こんな所」へ母を入れるのかと思った。そう思ってもどうしてやることもできず、母をおいて帰った。兄と私が帰ろうとするといっしょに帰るものだと思っていて、施設の人の静止を振り切って出口まで私たちといっしょに歩いた。施設の人の静止をどうしても振り切ろうとする母は数人の施設の人に連れて行かれ、私たち家族は別れた。こんな中で母は今日は眠ることができるのか。こんな中で母は大丈夫か。とめどなく涙が流れた。
 それから母にも私にも時は流れ、母は始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられ、大声を出し、行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続け、鏡に向かって叫びはしなかったが、うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにうなだれもした。「こんな所」と思った私も、同じ情景を母の中に見ながら「こんな母」なんて決して思わなくなった。「こんな所」を見ても今は決して奇妙には見えない、必死に生きる人の姿に見える。
※「ライスカレーと母と海」(ポプラ社)より

©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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