詩「徘徊と笑うなかれ」◆月刊「致知」インタビュー

◆今日の詩は、詩「徘徊と笑うなかれ」です。「それとも私の知らない恋人ですか」と、この一行に呼応する「それとも幼くして死んだ姉ですか」の部分がこの詩の中では一番気に入っています。母の心の一番深い部分を描いているように感じているからです。◆この詩は昨日のTV番組でも朗読されていましたが、この詩が掲載された雑誌のインタビュー記事のご紹介です。月刊「致知11 月号」(10月1日発行)に、私のインタビュー記事が掲載されています。介護の詩 ~認知症の母が教えてくれたこと~藤川幸之助(詩人)です。詩ができるまでの詳細を語った見開き3枚(6ページ)の記事です。是非ご覧ください。
(この雑誌は書店ではお求めになれません。詳細は以下↓)
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2019/11_fujikawa/

Cover-表-1

徘徊と笑うなかれ。
        藤川幸之助  
徘徊と笑うなかれ。
母さん、あなたの中で
あなたの世界が広がっている
あの思い出がこの今になって
あの日のあの夕日の道が
今日この足下の道になって
あなたはその思い出の中を
延々と歩いている
手をつないでいる私は
父さんですか
幼い頃の私ですか
それとも私の知らない恋人ですか

妄想と言うなかれ。
母さん、あなたの中で
あなたの時間が流れている
過去と今とが混ざり合って
あの日のあの若いあなたが
今日ここに凛々しく立って
あなたはその思い出の中で
愛おしそうに人形を抱いている
抱いている人形は
兄ですか
私ですか
それとも幼くして死んだ姉ですか

徘徊と笑うなかれ。
妄想と言うなかれ。
あなたの心がこの今を感じている
           詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)

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©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】
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NHKハートネットTV10/10・詩人*藤川幸之助

NHK・Eテレ・ハートネットTV選 「あなたの中の私を失う時▽認知症の母を詠む 詩人・藤川幸之助」が、2019年10月10日(木)午後1時05分 〜 午後1時35分にNHK・Eテレでアンコール放送されます。4年前に見逃された方は、今回是非ご覧ください。今日はその番組の中で朗読されている詩「この手の長さ」と詩「母の遺言」でお楽しみください。

◆◆ 「あなたの中の私を失う時▽認知症の母を詠む 詩人・藤川幸之助」◆◆
https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1168/
【NHK・Eテレから】アルツハイマー型認知症を患った母を24年にわたって介護した藤川幸之助さん。84歳で母が亡くなるまで人生の半分近くを母に寄り添った。言葉も無く、ゆっくりと死に向かいつつも生きる母、それに向き合っていない自分に気付かされ、母とともに生きることを決意し、その思いを詩の言葉に紡いでいった。-言葉のない母が 私に問いかける 命とは何か 生きるとは何か 死とは 老いた母が その存在から 私に問いかける-

◆この手の長さ◆

藤川幸之助

背中のあたりがかゆくて苦しんでいると
「一人では
何でもかんでもできないように
手はちょうどいい長さに作ってあるのよ」と母は言って
私の背中の手の届かないあたりを
かいてくれた

そんなに言っていた母も認知症になり
母一人では何にもできなくなった
母一人では渡れない川を
二人で渡りきろう
母一人では登れない山を
二人で越えよう
人が孤独にならないように
人が愛で引き合うように
人が人を必要とするように
人が傲慢にならないように
この手をこのちょうど良い長さに
作ってあるに違いない
私にもとうてい一人では
できないことがある
できない二つのことが
母と私とで
できる二つのことになる日が
来るのかもしれない

私の人生の地図の一部が
母の中にあり
母の人生の地図の一部が
私の中に
きっと潜んでいるに違いない
『満月の夜、母を施設に置いて』中央法規出版より

◆母の遺言◆
藤川幸之助

二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた

残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった

最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた

死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
『命が命を生かす瞬間』東本願寺出版より

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詩「化粧」◆父の思い

化粧
     藤川幸之助
あの日、母の顔は真っ白だった。
口紅と引いたまゆずみが
まるでピエロだった。
私の吹き出しそうな顔を見て
「こんなに病気になっても
 化粧だけは忘れんでしっかりするとよ」
父が真顔で言った。

自分ではどうにも止められない
変わっていく心の姿を
母は化粧の下に隠そうとしたのか。
厚い化粧でごまかそうとしたのか。
それにしても
隠すものが山積みだったのだろう
真っ白けのピエロだった。

その日以来
父が母の化粧品を買い、
父が母に化粧をした。
薬局の人に聞いたというメモを見ながら
父が母の顔に化粧をした。
真っ白けに真っ赤な口紅
ピエロのままの母だったけれど
母の顔に化粧をする父の姿が
四十年連れ添った二人の思い出を
大切に描いているようにも見えた。

父が死んで
私は母の化粧はしないけれど
唇が乾かないように
リップクリームだけは母の唇にぬる。
その時きまって母は
口紅をぬるときのように
唇を内側に入れ
鏡をのぞくように
私の顔を見つめる。

──もういいんだよ母さん。

     『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)に関連文

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父という月
■父が亡くなった。夜空のどこを探しても月は見つからなかった。月のない夜空は、父を失った自分の心のようだと思った。私が、認知症の母の介護を引き継いだ。父が母にしてあげていたことを、一つ一つ思い出しながら、母の世話をした。父の母に対する思いが痛いほど分かった。いつの間にか、父が母にやっていたことをごく自然にしている自分がいた。父が私の中で生きている。真っ暗な私の心の中を、とても鮮やかに父という月が照らしていた。命をつなぎ、命を受け継いでいくというのは、こういうことではないかと思ったのだ。

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詩「母の眼差し」◆天声人語に掲載

◆本日9月21日(土)の朝日新聞の天声人語に私についての記事が掲載されています。ネットや新聞紙面で読んでいただければ幸甚です。今日の詩はその天声人語でも紹介されている詩「母の眼差し」です。

母の眼差し
    藤川幸之助
母に朝会うときは
「おはようございます」と言う
昼に会うときは
「こんにちは」と言い
夜には
「こんばんは」と頭を下げ
寝るときには
「お休みなさい」を忘れない

正月には
「あけましておめでとうございます」
と正座して母に向かい
母は食事はしないけれど
母の箸を用意し
縁起の良さそうな袋に入れて
母の前に置く
母の雑煮
母にお屠蘇
何も分からないから
母に何もしないでよいとは思わない
何を言っても理解できないから
何を言っても許されるというものでもない

母が昔のままそのままの
認知症もどこにもない顔で
私を産み育てた母そのものの眼差しで
じっと私を見つめるときがある
残された者の良心を
母は試しているようにさえ
思えるときがある

『満月の夜、母を施設に置いて』中央法規出版より

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10月04
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徘徊る◆詩「徘徊と笑うなかれ」

◆「徘徊」とは、どこともなく歩きまわることをいいます。また、「徘徊る」と書いて「たもとおる」と読み、同じ場所をぐるぐるまわることを意味します。認知症を患ってからの母もどこともなく歩き、ぐるぐる同じ場所を歩き続けました。しかし、徘徊している時の母の瞳は、時々どこか別の世界を見つめているようにも私には見えたのです。今日は詩「徘徊と笑うなかれ」です。

徘徊と笑うなかれ
  藤川幸之助 
徘徊と笑うなかれ。
母さん、あなたの中で
あなたの世界が広がっている
あの思い出がこの今になって
あの日のあの夕日の道が
今日この足下の道になって
あなたはその思い出の中を
延々と歩いている
手をつないでいる私は
父さんですか
幼い頃の私ですか
それとも私の知らない恋人ですか

妄想と言うなかれ。
母さん、あなたの中で
あなたの時間が流れている
過去と今とが混ざり合って
あの日のあの若いあなたが
今日ここに凛々しく立って
あなたはその思い出の中で
愛おしそうに人形を抱いている
抱いている人形は
兄ですか
私ですか
それとも幼くして死んだ姉ですか

徘徊と笑うなかれ。
妄想と言うなかれ。
あなたの心がこの今を感じている
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1-悲しみ
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