詩「母の中の父」◆絆の結び直し

母の中の父
   藤川幸之助
「更けゆく秋の夜・・・」
と始まる秋の童謡「旅愁」
この歌を
春、桜が咲いていようが
夏、汗だくになっていようが
冬、雪が降っていようが
一年中母の耳元で歌う
この歌を聴けば
認知症の母が
大声を出して叫ぶのだ
しかし、あんまり上手く歌ったら
眠ったままのときがあるので
父の声まねをして
できるだけ下手に歌う
すると、母はぱっと目を開け大声を出す

父は母の手を取り
毎日毎日この歌を歌っていた
父がなくなった今でも
この歌を聴く母の心の中では
父がぽっかりと月のように浮かび
静かに母の心を照らしているのだろう

忘れる病にも忘れることのできない
消し去ってしまう病気にも消すことができない
そんなものがあるのだと・・・

しかし、歌を下手に歌うのが
こんなに大変だとは思わなかったが
私の声の中にも
優しく愛しい父が
しっかりと生きていた
  「満月の夜、母を施設に置いて」(中央法規出版)
        ©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】

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長崎新聞2月絵

■今から10年ほど前に書いた詩だ。母が認知症にならなかったら、こんな詩を書くこともなかっただろう。ましてや、母の手を握りしめることもなかっただろうし、母のことを思いやることもなかったと思う。父も同じだろう。母が認知症にならなかったら、父は母と手をつないで歩くこともなかっただろうし、私の目の前で愛おしそうに母を抱きしめることもなかっただろう。父にしろ、私にしろ、母の認知症という病気のおかげで、絆の結び直しをしたのではないかと思う。父は、夫婦の絆を、私は親子の絆を、認知症の母のおかげで結び直した気がするのだ。
©Konosuke Fujikawa【詩・文・イラスト*藤川幸之助】

詩「落葉樹」◆終わろうとするとき

◆北海道は冬が来るのが早い。11月中旬に旭川に行った。スタバでやり残した原稿を書いていると、「またこの季節がはじまったね」と二人のご婦人が話していた。窓外を見ると雪がちらつき始めたかと思うと横殴りになって、みるみる真っ白になった。一瞬で色が消えたように感じた。◆「音は、それが消えようとするときにしか存在しない」谷川俊太郎さんの本にウォルター・オングの言葉を見つけた。数日前に見た北海道定山渓の鮮やかな紅葉が頭に浮かんだ。季節もまた、終わり色が消えようとするときに鮮やかに自らの本来の姿を現すのかもしれない。◆人生が終わり消えかかるとき、私の中に何が浮き彫りになってくるのか。自分自身の本来の姿が見えてくるのか。私も気になる年頃になってきた。◆「視覚はものを分離し、聴覚はものを結合する。」(「口承性と文字性」)というウォルター・オングの言葉もある。全てのものは浮き彫りになる姿形を見つめながら自分自身に別れを告げるのであろうか。今年も一年の姿が浮き彫りになる最後の月になった。
©Konosuke Fujikawa【文・写真*藤川幸之助】

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落葉樹
           藤川幸之助
落葉樹が冬に葉を落とすのは
自分自身が生きていくためだそうだ
力つきて丸裸になるのではない

真っ青な空に
裸の自分をすかしてみる
一つ一つの枝の先がくっきりと見えてくる
心のひだのように見えてくる

葉を繁らせていては分からないこと
花を咲かせていては気づかないこと
実を実らせていては見えないこと
手放すことで見えてくるもの

幹と枝の向こう側には
空が縹渺と広がっている
雲が言葉のように
流れていく

落葉樹にも
生きていくために
確かめなければならないことがある
©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】

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詩「静かな長い夜」◆海容

3
静かな長い夜
        藤川幸之助
母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないで私を見つめる。

二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
 仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
 おれがかがなくちゃなんないんだ」

「お母さんはよく分かっているんだよ」
と他人は言うけれど
何にも分かっちゃいないと思う。

夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
      『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
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■認知症の母を前に、私はいつもじたばたした。そんな私を、母は海のように静かに見つめていた。そんな母の瞳を見ると、いつも「海容」という言葉を思い出した。海のような広い心を以て、人を許すこと。広く物を容れる海の様子からできた言葉。許し合うことで、人は一つの海になっていくのかもしれない。海に真っ青な空がくっきりと映り、海と空とが一つに解け合う姿が目に浮かぶ。海容の「容」という字には、「受け入れる」という意味もあるらしい。母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、その生の青さを深くしていった。
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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詩「こんな所」◆経験というトンネル

◆経験というトンネルをくぐることで、同じ月でも違って見えるものだと、今になって思う。その頃は、まだ母は少しばかり話し、歩くこともできた。他のお年寄りと比べて、まだ母の方がましだと思っていた。母は認知症じゃないと、どこかでまだ母の病気を受け入れることができなかった。満月の夜には、母を施設へ置いて帰った日のことを思い出す。あの時とは全く違う自分を、あの時と全く同じ月が淡く照らす。そして、あの時と全く同じ黒い影が、私をじっと見つめている。◆今日は散文詩「こんな所」を読んでいただければと思います。

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「こんな所」    藤川幸之助
 始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられる身体の動かない母親。大声を出して娘をしかりつけ拳で殴りつける呆けた父親。行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続ける老女。鏡に向かって叫び続け、しまいには自分の顔におこりツバを吐きかける男。うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにビクビクして、うなだれる女。
 父が入院して手に負えなくなり、初めて母を病院の隣の施設に連れて行った時、「こんな所」へ母を入れるのかと思った。そう思ってもどうしてやることもできず、母をおいて帰った。兄と私が帰ろうとするといっしょに帰るものだと思っていて、施設の人の静止を振り切って出口まで私たちといっしょに歩いた。施設の人の静止をどうしても振り切ろうとする母は数人の施設の人に連れて行かれ、私たち家族は別れた。こんな中で母は今日は眠ることができるのか。こんな中で母は大丈夫か。とめどなく涙が流れた。
 それから母にも私にも時は流れ、母は始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられ、大声を出し、行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続け、鏡に向かって叫びはしなかったが、うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにうなだれもした。「こんな所」と思った私も、同じ情景を母の中に見ながら「こんな母」なんて決して思わなくなった。「こんな所」を見ても今は決して奇妙には見えない、必死に生きる人の姿に見える。
※『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)より

トンネルの向こう側
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詩「手帳」◆10月、11月の講演会

◆この10月と11月の講演会は全て北海道です。この講演会で講演回数は469回になります。その中でも北海道での講演は46回にも上ります。北海道の皆さん、お時間がありましたら是非講演を聞きに来ていただければ幸甚です。◆今日の詩はその講演会でも朗読予定の詩「手帳」です。
◆「手帳」◆
藤川幸之助
母が決して誰にも見せなかった
黒い鉛筆付きの手帳がある。
いつもバッグの底深く沈め
寝るときは枕元に置き
見張るように母は寝た。
その手帳が
今私の手の上に乗っている。

父の名前、兄の名前、私の名前。
手帳には、びっしりと
忘れてはならぬ名前が書いてある。
そして、手帳の最後には
自分自身の名前が、ふりがなを付けて
どの名前よりも大きく書いてあり
その名前の上には、何度も鉛筆でなぞった跡。
母は何度も何度も
自分の名前を覚え直しながら
これが本当に自分の名前なんだろうかと
薄れゆく自分の記憶に
ほとほといやになっていたに違いない。
母の名前の下には
鉛筆を拳(こぶし)で握って押しつけなければ
付かないような黒点が
二・三枚下の紙も凹ませるくらい
くっきりと残っている。


父・母・兄・私の四人で話をしていたとき
母は自分の話ばかりをした。
母は同じことばかりを繰り返し言った。
「同じ話ばかりするのは、やめてくれ」
と、私は母をにらみつけた。
病気とも知らず。
話について行けない母は
その場からいつの間にかいなくなっていた。

あまりに帰らないので
探しに行くと
三面鏡の前に母はいた。
自分の呼び名である「お母さん」を
何度も何度も何度も唱えていた。
記憶の中から消え去ろうとしている
自分の連れ合いの名前や
息子の名前を何度も唱え
必死に覚え直していた。
振り返った母の手には
手帳が乗っていた。
私に気づくと、母は
慌(あわ)ててカバンの中に
その手帳を押し込んだ。
その悲しい手帳が
今私の手の上に乗っている。
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)に関連文

◆みなさま、宜しければ「シェア」をお願いします。
多くの方々に講演を聞いていただければと思っています。
©Konosuke Fujikawa【詩・文*藤川幸之助】

① 2019年10月19日(土)12:30~17:00
<日本ホームヘルパー協会函館支部 北部ブロック研修会>
会場:北海道教育大学函館校(函館市八幡町1番2号9
主催:日本ホームヘルパー協会函館支部(ご担当/酒井さま)
お問い合わせ:訪問介護ステーション輪(りん)酒井さん
電話:0138-85-6185

② 2019年10月20日(日)13:00~17:00
<社会福祉法人 幸清会 周年記念式典>
会場:豊浦町(※ 法人内関連施設)
主催:社会福祉法人 幸清会(こうせいかい)
〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉191
お問い合わせ:特別養護老人ホーム大原の杜 吉田恵施設長
電話: 0142-89-3500

③2019年10月29日 (火)18:00〜20:00
会場:北海道石狩郡当別町 介護老人保険施設 愛里苑ホール
問い合わせ :介護老人保険施設・愛里苑 事務課・増田さん
電話:0133-26-2874

④ 2019年11月10日(日)10:30~12:30
<プロから学ぶ 認知症と人を学ぶ4日間>
会場:ライフシップ植物園前 12階ディサービス内
札幌市中央区北5条西10丁目6番1
主催:(株)ライフデザイン
お問い合わせ:(株)ライフデザイン担当 相川さん
電話:011-215-5138

⑤ 2019年11月13日(水)18:00~20:00
<認知症ケア職員研修会>
会場:特別養護老人ホーム 旭川ねむのきの華
旭川市忠和4条2丁目10番23号
お問い合わせ:特別養護老人ホーム 旭川ねむのきの華
電話:0166-61-3277

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