遅れる時計*詩「餅つき」

◆ハック機能というのがある。時計の話。時刻を合わせるときに時計の秒針が止まるという機能。私の手巻きの時計には、この機能がなく秒針が動き続けるので、時報などの正確な時間に秒を合わせることが容易ではない。無論、ゼンマイで動く時計なので秒まで合わせたところで、すぐに遅れたり進んだりする。◆いつも正確な時間が分かる電波時計があるのに、なぜそんな時計を使うか。それは、その正確ではない時計と折り合いをつけてつきあっていくことで、その時計と私との関係が出来上がっていくからだ。つまり、この時計が「私の時計」だと思えるようになっていくからだ。◆例えば、私の時計は一日に4秒ほど遅れる。15日に1分正確な時刻から遅れる計算になる。だから、秒針が正確な時刻とぴたりと合ったときに時計を1分進める。その1分進んだ私の時計に正確な時間が、一日4秒ずつ追いかけてきて、15日後に追いつく。また、1分進める。◆正確な時刻との1分の誤差の中で私は時間を楽しんでいるような気にもなる。常に何秒か進んでいるから約束の時間や定刻も大丈夫。私なりのつきあい方でこの遅れる時計に向き合い、自分の時間に折り合いを付けているというわけだ。◆人生もまた、電波時計のようにはいかない。自分の思い通りにいくことばかりではない。気に入らない人生でもどうにか折り合いをつけて「生きて」いかなければならないのだ。◆認知症の母の介護もそうだった。思い通りに動かない認知症の母や、思い通りに流れていかない認知症の母との人生にも、私なりに折り合いをつけて生きてきた。それが今日の詩なのだが、ああでもないこうでもないと折り合いをつけ必死に生きた日々。あの日々が、歩んでいる自分の足下の道をはっきりと見つめさせてくれたように思う。この人生をこの自分のものだと感じさせてくれたように思うのだ。遅れるからこそ、この私の時計。思い通りにならないからこそ、この私の人生。

餅(もち)つき
         藤川幸之助
母と二人で食事をした
外出許可をもらって
正月前なので少しでもご馳走をと思い
鰻(うなぎ)を食べにいった
美味しいのか
美味しくないのか
少ない給料から
思いきってこんなに高い鰻を
ご馳走しているのに
何とか言ってみろと
ぽろぽろ口元からこぼれる
ご飯を拾い
ハンカチで口を拭いてあげながら
冷たく言ってみた

でも母は黙々と食べた
ご飯ばかり食べるので
休んでいる瞬間を
ねらって
鰻を切って母の口に入れる
まるで息のあった餅つきだ
これは親子でなきゃできないなあ
と嬉しくもなる

母をまた老人ホームに連れていった
その帰り
高速道路のパーキングにあるトイレで
ハンカチを開くと
米の粒と鰻の小骨がカパカパになって
もう半分干からび
餅みたいになっていた
         詩集『マザー』ポプラ社より
写真・藤川幸之助
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