◆お二人から新詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)への言葉が届いた。この二人とは、谷川俊太郎さんと鎌田實さん。私の尊敬するお二人だ。◆十九才の時、谷川俊太郎さんの詩集『日々の地図』を読んで、私は詩人を志した。谷川さんの著作は全て読んだ。水平線のような人だった。目標にして詩を書き続けた。たどり着いたと思ったら、また遠くに谷川さんは水平線のようにいた。気がつけば私も三十数年詩を書き続けていた。そんな谷川さんから新詩集への言葉が送られてきた。「藤川さんは何かを全うされたのだと思います。でもその何かは言葉にできないし、言葉にしたくないほど大きく深いものです。」◆もうお一人は鎌田實さん。私の心から尊敬する医師で作家でもある。「それぞれの人生のなかに、命の道しるべの経験があると思う。」という鎌田さんの言葉で、母の介護の愚痴ばっかり言っていた私が、認知症の母を受け入れることができるようになった。その鎌田さんから突然の電話。とても優しい柔らかい声だった。次の日、毎日新聞の鎌田さんのコラムに詩集『徘徊と笑うなかれ』の紹介とともに、次のことが書かれていた。「ぼくはこの詩人の詩が好きで、以前、ラジオ番組で朗読したことがある。老いて言葉を失ったお母さんが、命とは何か、生きるとは何か、という問いに、存在そのもので答えていると感じる。」(毎日新聞2013.10.29)と。今日は、その詩集『徘徊と笑うなかれ』から、詩「身体の記憶」と「あとがき」の抜粋を。
絵・岡田知子(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版より)
身体の記憶
藤川幸之助
この季節になると
とにかく認知症の母は汗をかく
母の身体を毎日のようにふく
この母の身体には
私の幼い頃の縮図が描かれている
もう歩くことを忘れた足が
母の体からすっと伸びている
臆病な私はいつもこの足にしがみついた
もう抱きしめることを忘れた腕
その腕から分かれた五本の指は
指し示すことも握ることもしない
この手にどれだけ励まされ叱られ
抱きしめられたか
父に内緒でもらった家出の金も
この手が渡してくれた
赤ん坊の私が乳を吸う時
いつも触ってたのでちぎれそうだと
母がよく話した胸のホクロは
まだちぎれずにしっかりと残っている
病弱な私をこの背中に背負って
夜中、母は何度病院へかけたか
このヘソとつながって
この世界へ私は生まれてきた
母の口は何も語らないが
母のこの身体は私の幼い頃を雄弁に語る
着替えさせたパジャマやタオルを
毎日のように洗濯し
毎日のようにたたむ
おれは忙しんだよと愚痴りながらも
せずにはいられない
母の身体には
私の幼い頃の縮図が眠っている
(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版より)
母には言葉もありませんし、意味のある動きもありませんでした。そこに存在するだけで母は私を育ててくれていたのです。私は今、母に生かされてここにある自分自身を深く感じています。ずっと私は「できる」ことが本来の人間の姿だと思い違いをしていました。だから、認知症になって何もかもできなくなっていく母を見て、人間としてだめになっていると思っていましたが、母はだめになっていったのではなく、生まれた時のような「存在そのもの」に返って、その返っていく姿で私を育てていたのです。
(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版・あとがきより抜粋)
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