すきなうた◆詩「さようなら」「母の遺言」

◆先ほどまでは、この文の題を「好きな詩」にしていたんだが、星野源の「くせのうた」を聞いて書いていたら、ひらがなで「すきなうた」と書きたくなった。他に深い理由はない。ひらがなで書いた「すきなうた」の中には「棚(たな)」も、「キス(きす)」も、「襷(たすき)」も、「鉈(なた)」も、「砂(すな)」も、「滝(たき)」もあって、いろんな物語が蠢くので「ひらがな」は面白い。◆そんな、棚の上に置いて大切にしたい、キスをするぐらい愛している、襷に託して人に渡したいぐらい「すきなうた」が、拙作の詩の中にもある。その詩のできが良いというわけでもないし、誰かに褒められたからと言うわけでもない。ただわけもなくすきな詩があるのだ。自分ではその理由が分からないので、そう言ってお知らせするしかない。この11月から講演でこの「すきなうた」を朗読するようになった。すきなものはすきなんだもの人に知らせたくなる。◆「ひらがな」のせいか、星野源の歌のせいか、なんかゆるくゆったりした文になってしまった。今日はその「すきなうた」、詩「さよなら」「母の遺言」をどうぞ。
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さようなら
      藤川幸之助
さようならは「左様なら」と書き
そうであるならばしょうがない
別れましょうという別れの言葉
そういえば今まで一度も母にさようならと
言ったことがなかった
行ってきますとか
元気でねとか
母さんまたねとか言って
母と別れてきた

母との最期の別れには
結局間に合わなかった
母は冷たくなっていた
亡くなる前数ヶ月間の
母の苦しそうな顔とは打って変わって
ゆったりした顔だった
どこか笑っているようにも見えた

私は母を支え母は私を育て
一つの大きな仕事を成し遂げたような
父との約束を果たせたような
母の天寿を全うさせたような
あの世の父へ母を手渡せたような
何よりもう母は苦しまなくていい
涙は出たが悲しみではなかった

言葉がないのは
生きていたときと同じだったが
どれだけ母の手を握ろうとも
私の温みは伝わらなかった
どうやっても私のまなざしは
母に届かなかった
そうであるならばしょうがない
今度ばかりは「さようなら」
(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版より)
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母の遺言
       藤川幸之助
二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた

残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった

最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた

死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
(『命が命を生かす瞬間』より)
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