◆京都で哲学者の鷲田清一さんと心理学者の小沢牧子さんと私とで、公開の鼎談をしたことがあった。その時の、鷲田さんの言葉。「年を取るということは、一人でできることがどんどん減り、自分ではどうにもならないものが増えてくるという感覚。老いの感覚は深く人間に問いかける。老いは問題ではなく、課題なのだ」と。◆母の病気を見つめ続けた二十数年間だった。アルツハイマーで母の脳は縮小していく、それにあわせるようにできることが減っていく。歩けなくなれば車いすを押し、排泄ができなくなればおしめを替え、母のできないことを私が代わって一つ一つやってきた。◆そんな中、「ああ大問題だ!」とばかりに混乱して、自分のことばかり考えてきた私のようなろくでもない人間が、母の痛みを自分のこととして感じるようになった。命とは何か、生きるとは何か、死とは何か、老いとは何か、母を通して考えた。老いた母が、言葉でではなくその存在から私に問いかけた。言葉のない母が私に問いを投げかけ続けた。課題ならば答えねばならぬようだ。今日は詩「最期の言葉」を。
最期の言葉
藤川幸之助
母が認知症になって
肺炎はもう何度目だろうか
鼻から酸素吸入をして
左手には抗生剤の点滴をさして
顔を腫らして口を開けて母はもがいて
「きつかけど母さん頑張らんばね」
と、母の耳元で言ったけど
何を頑張れと私は母に言っているんだ
なぜ母は頑張らなければいけないんだ
死んだ方が楽ではないか
肺炎を何度も繰り返し
どうにか生き抜いてくれと祈り
何度も乗り越えてきただけの二十数年
葬儀屋の積み立てだけはしっかりたまった
ただただ母は生きながらえて
母は幸せだったのだろうか
せめて死ぬとき正気に戻り
「お前が側にいてくれて幸せだったよ」
と、母から言ってもらいたい
「心配かけた分、母さんおれは頑張ったぞ」と、母に伝えたい
母が認知症になって
もう何度目の夜だろうか
母の病室を出て暗い階段を下りるとき
「今日も母は生きていた」
と、フーッと大きな息を吐く。
©FUJIKAWA Konosuke
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