葡萄と俳句◆詩「袋」

◆「一つもぎ 一つ先見ゆ 葡萄かな 幸之助」これは、葡萄を送ってくれた叔母へのお礼の葉書に書いた俳句だ。左手でつまんで目の前にぶら下げ、右手でもいで食べていると、葡萄の向こう側が少しずつ見えてくる。◆もう、この私は葡萄を三分の二ほど食べた頃か。SNSで文を書かないと死んでいるのではないかと問い合わせがくるようになった。だから、今日は少々焦っての投稿になった。◆今日は詩「袋」を。
L1001198-18

  藤川幸之助
母が入院したときに買った袋
その場しのぎで二百円で買ったが
母が亡くなるまで十六年も使った
母はよく高熱を出し
年に二、三度は入院した
その度ごとに今度だけでも
どうにか乗り越えてくれと祈り
取る物も取り敢えず
この袋に詰め込んで病院へ駆けつけた

母を認知症の施設に入れた時も
母の名をマジックで書き入れた
下着やパジャマ
タオルや日用品を詰め込んで
この袋を右手にもち
左手で母の手を握って
施設の門をくぐった
母は汗かきで
毎日のように洗濯物を持って帰り
洗ってたたんで入れてまた運んだ
母はベッドに寝て
夕刻私がこの袋を運ぶまで
じっと天井を見つめていると聞いた

いつの頃からか私は母を
「お袋」と呼んでいたが
この「袋」は子宮のことらしい
母が死んで病院から
母の物を持ち帰ったのも
この袋だった
入っていたこの私を独り残して
空っぽになった袋が
今は入れる物もなくじっとしている

©FUJIKAWA Konosuke
詩集【支える側が支えられ 生かされていく】より
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多くの方々に詩を読んでいただければと思っています。
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