詩「領収書」◆第25回認知症ケア学会・特別講演5

◆6月15日(土)、16日(日)に東京国際フォーラムで「第25回認知症ケア学会大会」が開催されます。私は大会の「特別講演5」で、6月16日(日)10時30分〜12時【第1会場・ホールA 】「認知症の人と「この今」を生きる;その存在に耳をすますということ」という演題で詩の朗読を交えながら講演をします。この【ホールA】というのが5,012席の大ホールで私には少々荷が重いのですが、心を込めてお話しをさせていただきます。是非聞きに来られてください。
https://ninchisyoucare.com/taikai/25kai/index.html
◆今日の詩は「領収書」。母の介護半ばになくなった父は、紫陽花の季節が大好きだった。心臓の病を患っていた父は、「おれの最後の大切な仕事だ」と言って、命がけで母の介護をした。母を支えたのは父だったけれど、父もまた認知症の母に生き甲斐を与えられ、母に生かされていたようにも思うのだ。◆詩人の谷川俊太郎さんは、この詩について「僕は「誠実なる生活」とお父様がノートに書いていたっていうエピソードに感動しました。(中略)他者の存在によって自分が変わっていくということは、すごく素敵なことです。」*1と、2008年の私との対談で語った。*1『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
IMGP7250-18のコピー
領収証
    藤川幸之助
父は
おしめ一つ買うにも
弁当を二つ買うにも
領収証をもらった
そして
帰ってからノートに明細を書いた
「二人でためたお金だもの
 母さんが理解できなくても
 母さんに見せないといけないから」
と領収証をノートの終わりに貼る父
そのノートの始まりには
墨で「誠実なる生活」と父は書いていた

私も領収証をもらう
そして母のノートの終わりに貼る
母には理解できないだろうけれど
母へ見せるために
死んでしまったけれど
父へ見せるために
アルツハイマーの薬ができたら
母に飲ませるんだと
父が誠実な生活をして
貯めたわずかばかりのお金を
母の代わりに預かる
母が死んで
父に出会ったとき
「二人のお金はこんな風に使いましたよ」
と母がきちんと言えるように
領収証を切ってもらう

私はノートの始めに
「母を幸せにするために」
と書いている
  
『支える側が支えられ
   生かされていく』致知出版より
◆みなさま、宜しければ「シェア」をしていただければ幸甚です。
©FUJIKAWA Konosuke
【詩・文・写真】藤川幸之助
#藤川幸之助 #認知症ケア学会