ピカソの言葉◆第24回認知症ケア学会・特別講演

◆久しぶりの投稿になります。
皆さんお元気ですか。
物書きがどこにも何も書かなくなったら、
死んだのではないかと思われるのは
私の年齢になると至極あたりまえのことですが。

◆私は生きております。
生きて、この6月4日(日)に国立京都国際会館で講演します。
第24回認知症ケア学会・特別講演です。
今年も認知症ケア学会主催の
「未来をつくる子どもたちの作文コンクール」
の最終選考もさせていただきました。
今回で10年目になります。

◆ピカソは言いました。
「ラファエロのように描くのに4年かかったが
子どものように描くのには生涯かかった」
大人になるにつれ常識を手に入れ、ひきかえに
持ち合わせていた感性を手放してきたようにも思います。

◆子どもたちの入賞作文の発表があって
その後、1時間30分私が講演をいたします。
大丈夫です。生きています。
とても広い会場ですので
お時間がある方は是非ご来場ください。
以下、講演の詳細と
講演で久しぶりに朗読する詩「おむつ」です。

◆演題 認知症の人と「この今」を生きる
    〜その存在に耳をすますということ〜
◆講演会名 第24回認知症ケア学会・特別講演5
◆講演日 2023年6月4日(日) 10:20~11:50
◆会場 国立京都国際会館
    ニューホール(第1会場/最大1600人)
◆お問い合わせ
 日本認知症ケア学会 事務センター「第24回大会」係
 電話:03-5206-7431 FAX:03-5206-7757
 10:00~12:00/13:00~17:00(土日・祝日除く)
DSC_1564-18
おむつ
         藤川幸之助
認知症の母が車の中でウンコをした
臭いが車に充満した
おむつからしみ出て
車のシートにウンコが染み込んだ
急いでトイレを探し男子トイレで
尻のしまつ始末をした
母を立たせたまま
おむつを替える
せま狭い便所の中で
母のスカートをおろす
まだ母は恥ずかしがる
「おとなしくしとかんとだめよ」
母のお尻をポンポンとたたいてみた
子供の頃のお返しのようで
少し嬉しくなった
母のお尻についたウンコを
ティッシュで何度も何度も拭いてやる
かぶれないように拭いてやる
母が私のウンコを拭いてくれたように
私は母で
母は私で
母の死を私のものとして見つめる
私の死を母のものとして見つめてみる
母と一緒に死を見つめてみる
狭い棺桶のような直方体の
白い便所の中で
鍵を開け母の手を引いて
便所から出る
そして
左手で母をつかまえたまま
私も便器に向かい
右の手で小便を済ませた
詩集『マザー』ポプラ社より
©FUJIKAWA Konosuke
みなさま、宜しければ「シェア」をお願いします。
多くの方々に詩を読んでいただければと思っています。
藤川幸之助 2023/06/01