◆母を一本の木だとすると、私はさしずめその木から芽吹き、その木に育てられていた一枚の葉だったのだろうか。一枚の葉を見ると、その葉脈とその葉の繁る木の枝振りは驚くほど似ている。私という一枚の葉の中にも、その母である木の枝振りが葉脈として刻まれているに違いない。母もまたその母から生まれた一枚の葉。「母というもの」を刻印しながら命は脈々と連なっていくのだ。
©Konosuke Fujikawa
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私の中の母
藤川幸之助
母よ
認知症になって
あなたは歩かなくなった
しかし、私の歩く姿に
あなたはしっかりと生きている
母よ
あなたは喋らなくなった
しかし、私の声の中に
あなたはしっかりと生きている
母よ
あなたは考えなくなった
しかし、私の精神の中に
あなたはしっかりと生き続けている
私のこの身体も
私のこの声も
私のこの心も
私のこの喜びも
私のこの悲しみも
私のこの精神も
私のこの今も
私のあの過去も
私のあの未来も
この私の全ては
母よ
あなたを通って出てきたものだ
母よ
今
私は私の中に
あなたが生きていることが
とてもうれしいのだ
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】
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