▲今日は朝起きて本棚から手に取った本がいけなかった。バリー・ローワーの『哲学思想』。開いた場所が「エピメニデスの嘘つきのパラドックス(EPIMENIDES’LIAR PARADOX)」。一日中、嘘についてずっと考える羽目になってしまった。▲クレタ島出身の哲学者エピメニデス(紀元前6世紀)は、「全てのクレタ人は嘘つきだ」と、言ったと伝えられているが、これがとてもやっかいな文なのだ。エピメニデスがクレタ人ということは、エピメニデスも嘘つきであって、その嘘つきが言った言葉「全てのクレタ人は嘘つきだ」は嘘になる。これが、「嘘つきのパラドックス」といわれるもの。▲このパラドックスからすると、自分が嘘つきであると、高らかに宣言することは決してできないと言うことになる。つまり、「私は嘘つきだ」と私が言うことは、同時に嘘つきの私が嘘を言っていることになるので、私がこの言葉を発したと同時に「私は嘘つきだ」は嘘になってしまうのだ。「詩人は嘘つきだ」と、ある国語の教師が言ったのを覚えている。詩人の私から見ると、虚構を作っていく小説家の方がよっぽど嘘つきではないかと思うのだが、この文もまた詩人の私にとってはパラドックスになる。▲嘘つきも時には真実を言う時もあるだろう。正直者もたまには嘘を言う時もあるかもしれない。「嘘」なんてものは人間はみんな持ち合わせていて、その持っている分量や度合いの違いで、嘘つきだとか正直者だとか言われるのかもしれない。と、パラドックスの中を彷徨っていたら、「悪人が善をなすこともあれば、善人が悪をなすこともあり」という池波正太郎の言葉を思い出した。「私は嘘つきだ」と言えない人間こそ嘘つきなのだ。この一文にパラドックスは見当たらない。今日はこの辺で。2013/04/25
藤川幸之助facebook http://www.facebook.com/fujikawa.konosuke