詩「落葉樹」◆終わろうとするとき

◆北海道は冬が来るのが早い。11月中旬に旭川に行った。スタバでやり残した原稿を書いていると、「またこの季節がはじまったね」と二人のご婦人が話していた。窓外を見ると雪がちらつき始めたかと思うと横殴りになって、みるみる真っ白になった。一瞬で色が消えたように感じた。◆「音は、それが消えようとするときにしか存在しない」谷川俊太郎さんの本にウォルター・オングの言葉を見つけた。数日前に見た北海道定山渓の鮮やかな紅葉が頭に浮かんだ。季節もまた、終わり色が消えようとするときに鮮やかに自らの本来の姿を現すのかもしれない。◆人生が終わり消えかかるとき、私の中に何が浮き彫りになってくるのか。自分自身の本来の姿が見えてくるのか。私も気になる年頃になってきた。◆「視覚はものを分離し、聴覚はものを結合する。」(「口承性と文字性」)というウォルター・オングの言葉もある。全てのものは浮き彫りになる姿形を見つめながら自分自身に別れを告げるのであろうか。今年も一年の姿が浮き彫りになる最後の月になった。
©Konosuke Fujikawa【文・写真*藤川幸之助】

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落葉樹
           藤川幸之助
落葉樹が冬に葉を落とすのは
自分自身が生きていくためだそうだ
力つきて丸裸になるのではない

真っ青な空に
裸の自分をすかしてみる
一つ一つの枝の先がくっきりと見えてくる
心のひだのように見えてくる

葉を繁らせていては分からないこと
花を咲かせていては気づかないこと
実を実らせていては見えないこと
手放すことで見えてくるもの

幹と枝の向こう側には
空が縹渺と広がっている
雲が言葉のように
流れていく

落葉樹にも
生きていくために
確かめなければならないことがある
©Konosuke Fujikawa【詩*藤川幸之助】

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