海容◆詩「静かな長い夜」

【海容という言葉◆詩「静かな長い夜」】
投稿日時: 2015年06月21日 投稿者: 藤川幸之助

■認知症の母を前に、私はいつもじたばたした。そんな私を、母は海のように静かに見つめていた。そんな母の瞳を思い出す。「海容」という言葉がある。海のような広い心を以て、人を許すこと。広く物を容れる海の様子からできた言葉。許し合うことで、人は一つの海になっていくのかもしれない。海に真っ青な空がくっきりと映り、海と空とが一つに溶け合おうとする姿が目に浮かぶ。海容の「容」という字には、「受け入れる」という意味もあるらしい。母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、ますますその生の青さを深くしていったのだろう。◆「今日の詩」はいつも講演時間に余裕がなくて、詩の朗読のセットリストに入れていてもなかなか朗読できない詩「静かな長い夜」をお届けします。

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静かな長い夜
藤川幸之助
母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないで私を見つめる。

二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
おれがかがなくちゃなんないんだ」

「お母さんはよく分かっているんだよ」
と他人(ひと)は言ってくれるけれど
何にも分かっちゃいないと思う。

夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪(な)いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)に関連文

©Konosuke Fujikawa

【詩・写真*藤川幸之助】
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