◆「さざんかは/名残の花や/七日粥」という渡辺水巴の俳句がある。結句が七日粥なので、サザンカは楽しかった「正月の名残」の花なのだろうと思っていた。◆今日ふと北国・富山を舞台にした宮本輝の「螢川」の一節を思い出した。「一年を終えるとあたかも冬こそ全てであったように思われる。」というもの。水巴はサザンカを見つめながら「この一年」を名残んでいたのではないかと思い直した。◆青森で車窓を見ながら「雪は大変ですね」と尋ねると、「大変ですが、春は必ず来ますから」とのタクシー運転手の言葉を思い出す。厳しい寒さに耐え、大変な思いをして乗り越えた春はまた格別なものなのだろう。◆一年の始まりはと問われたら一も二もなく「元日だ」と私は答えるが、北国の人にとっては一年は春に始まり、冬に終わるにちがいない。今は新しい年の始まりの月でもあるが、一年の終わりの季節なのだと改めて感じた。◆私にとって今まで花の開花が春の兆しであった。なかんづく白木蓮を見ると一掬の春の気配を感じていたが、今年は少しばかり違う。サザンカの花が一つ一つ落ちていく姿に一歩一歩春を感じるようになった。では、最後に駄句を一つ。山茶花や/拠り立つところ/散り染めて*幸之助 最後に詩「冬を選んで咲く花は」
冬を選んで咲く花は* 藤川幸之助
冬を選んで咲く花は
雪の白さに咲く花よ
風のぬくみを知る花よ
冬を選んで咲く花は
不言色した明日掬す
赤い花弁を持つ花よ
冬を選んで咲く花は
寒さ選んで咲く花よ
生きる証を持つ花よ
冬を選んで咲く花は
ハラハラハラと散り染めて
春には去っていぬ花よ