◆詩とは本の中にある内は、「乾燥わかめ」のようなものだと常々私は言ってきた。そのままで味わっても味わえない事もないが、詩はやはり「朗読」という水で戻して美味しく味わってもらいたいと思う。その水の温度、水につける時間など水加減で、詩はみずみずしくよみがえる。海の中で漂っていた時のわかめのように。◆5月13日のNHKハートネットTV「あなたの中の私を失う時~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助」を見て、濱中 博久アナウンサーの朗読がとにかく素晴らしいと思った。番組の中で朗読された詩は、講演で私も自ら朗読するが濱中 博久アナウンサーの朗読のようにはいかない。詩に向かい合うとき、その詩への「水加減」をしっかりと見極める感覚なのだろうか。◆番組の一番最後の詩「桜」(詩集『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版)と詩「母の遺言」(詩集『命が命を生かす瞬間』)の朗読が特に心に沁みた。今日はその詩「母の遺言」をどうぞ。
母の遺言
藤川幸之助
二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた
残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった
最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた
死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
(ポストカード詩集『命が命を生かす瞬間』東本願寺出版より)
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