◆母の介護を始める前は、母の誕生日も知らなかった。自分の生活や仕事のことばかりを考えていた。母の事なんて考えたことがなかった。◆しかし、父の遺言で嫌々ながらも母の介護を続けていくうちに、日常や忙しさに隠れて見失っていた母との絆が少しずつ見えてきて、この母の介護の経験は私の心や人生に足りないものを補完してくれる経験ではなかろうかと思った。母の存在が私の人生を補い、私を一人前の人間にしてくれているのではと。その時に作った詩が、今日の「この手の長さ」。◆facebookの管理人さんに再三お知らせいただいている5月13日のTV番組(ハートネットTV・あなたの中の私を失う時~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助)でも朗読予定です。
背中のあたりがかゆくて苦しんでいると
「一人では
何でもかんでもできないように
手はちょうどいい長さに作ってあるのよ」と母は言って
私の背中の手の届かないあたりを
かいてくれた
そんなに言っていた母も認知症になり
母一人では何にもできなくなった
母一人では渡れない川を
二人で渡りきろう
母一人では登れない山を
二人で越えよう
人が孤独にならないように
人が愛で引き合うように
人が人を必要とするように
人が傲慢にならないように
この手をこのちょうど良い長さに
作ってあるに違いない
私にもとうてい一人では
できないことがある
できない二つのことが
母と私とで
できる二つのことになる日が
来るのかもしれない
私の人生の地図の一部が
母の中にあり
母の人生の地図の一部が
私の中に
きっと潜んでいるに違いない
『まなざしかいご』(中央法規出版刊)