一日一生*詩「まるはだか」

◆母が生きていた時は、認知症の母を通して自分自身や自分の人生を見つめることが多かった。母が亡くなってから、自分の顔をまじまじと見るようになった。自分の人生を自分のために生き直そうかという思いのあらわれなのだろうか。◆これまで、母の死を見つめながらいつも頭の中で反芻していた言葉がある。「一日一生」。一日を一生に例えると、朝起きることは生まれることであり、「一日」は私の人生、そして夜寝るのは死の時なのである。一生は一年一年の積み重ねであり、その一年一年は一日一日の積み重ねでもある。この一日一日を一生のように大切に生きると言うこと。つまり、この一日を最期の日だと思って、精一杯生き直すということなのだ。さあ!今日も、この私の、人生を、生き直そう!◆今日は、十年前に作った詩集『ライスかれーと母と海』(ポプラ社)の中の詩「まるはだか」(加筆訂正)をどうぞ。

まるはだか
              藤川幸之助
このまんまで私はどれくらい
ここに立っていられるのかなあ。
このまんまで。
私のまんまで。

ついかくそうとするんだよな。
ついごまかそうとするんだよな。
ついかっこつけようとするんだよな。
ノーなのにイエスと言っちゃうんだよな。
イエスなのにノーと言っちゃうんだよな。
悲しいのに笑っているんだよな。
怒っているのに平然としてるんだよな。
人が愛しているのは
嘘っぱちの自分だというのに。

何にも壁のない
何にも飾りのない
何にも嘘のない
まるはだかの肌で
あの輝く光をじかに浴びて
これが自分なのかと思うんだ
冷たい風にさらされて
これが自分なんだと叫ぶんだ

まるはだかでいると
生きることは
こんなにも単純で
喜びに満ちたものかと思うんだ
だけど

私はどれくらい
ここに立っていられるのかなあ。
このまんまで。
私のまんまで。
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