◆ある講演会でとても心に残ったことがあった。実践発表会の最後に私が2時間ほど講演した。代表の方がおのおのの実践発表にコメントをするようになっていたが、「藤川さんの講演の余韻を大切にしたいので、今日はコメントはやめて挨拶だけにします。」と、短く話しを切り上げられたのだ。◆確かに感動や余韻というものは言葉で説明したり、言葉で遮ってしまうとその場から消えてしまう時がある。そのかすかな心の動きや風情や味わいのために、私は言葉を手放すことができるだろうか。自分の詩で感動してもらいたいと、自分の気持ちや思いを分かってもらいたいと思えば思うほど私は言葉を次から次に繰り出してはいないか。余情といった言外のものを包む器は「沈黙」でしかない。そして、この「沈黙」は心の奥底で、この世界のあまたの言葉や音さえも支えている。◆「沈黙」は、どこかこの世の目に映る光を支える「闇」に似ている。今日は母の胃瘻造設を決断した後に生まれた私の心の闇を描いた詩「臭い」を。(2013年5月21日ブログに加筆訂正)【エッセ・写真・詩*藤川幸之助】
臭い
藤川幸之助
眠れず真夜中海へ行った。
海の臭いが鼻を突いた。
死んでいるのか生きているのか。
明か暗か。
不安なのか安心なのか。
希望なのか絶望なのか。
喜んでいるのか悲しんでいるのか。
ゼロなのか無限なのか。
愛なのか悪なのか。
黒なのか透明なのか。
真夜中の海はそんな臭いがした。
翌日、母の胃に穴を開けた。
母に無断で母の胃に穴を開けた。
そこから直接胃へ食事を入れるために。
この管の奥には、
母の胃の中の暗闇が、
真夜中の海のように広がっているにちがいない。
母がしっかりと私の手を握って離さない。
今日から母の意志とは関係なく母は生かされていく。
味わうこともなく、
噛むこともなく、
飲み込むこともない自分が、
なぜ生きているか?
そんな疑問も母にはわくはずもなく。
「母さん手術ご苦労さん。
今日から元気になって元に戻るぞ。」
顔を寄せて自分で自分を励ますように母に声をかける。
「何言ってんだ」と母がゴポッとゲップをした。
口から臭う独特の臭い…。
真夜中の海の臭いがした。