詩「母の遺言」*死とは残された者のものだ

◆今日は11月の講演予定と今年から講演の最後によく朗読する詩「母の遺言」をどうぞ。◆この詩は最終連の「母の亡骸は母のものだが/母の死は残された私のものだ/母を刻んだ私をどう生きていくか」この三行から広がって出来上がった詩。【詩・写真・コメント*藤川幸之助】

【藤川幸之助・11月の講演会】
詩の朗読を交えながらの講演会です。
お近くの方は是非おいでください。

◆2014年11月1日(土)PM 2:05〜PM 4:10
青森県青森市民ホール
詳細 http://www.k-fujikawa.net/photo_1/1414579032635107.pdf

◆2014年11月3日(月)
奈良県奈良市ならまちセンター・市民ホール
詳細 http://nara1111.info/entry_03.htm

◆2014年11月9日(日)
愛知県名古屋市瑞穂区役所講堂
詳細 http://www.city.nagoya.jp/mizuho/page/0000060216.html

◆2014年11月11日(火)PM 1:30〜PM 2:30
広島県広島市 メルパルク広島
詳細 http://www.k-fujikawa.net/photo_1/1413944327606991.pdf

◆2014年11月20日(木)PM 2:00〜PM 4:30
北海道恵庭市 市民会館中ホール
詳細 http://www.k-fujikawa.net/photo_1/1414578846535141.pdf

母の遺言
       藤川幸之助
二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた

残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった

最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた

死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
(ポストカード詩集『命が命を生かす瞬間』東本願寺出版より)
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