詩「落葉樹」*ともに生き続ける詩

落葉樹
              藤川幸之助
落葉樹が冬に葉を落とすのは
自分自身が生きていくためだそうだ
力つきて丸裸になるのではない

真っ青な空に
裸の自分をすかしてみる
一つ一つの枝の先がくっきりと見えてくる
心のひだのように見えてくる

葉を繁らせていては分からないこと
花を咲かせていては気づかないこと
実を実らせていては見えないこと
手放すことで見えてくるもの
手放すことでしか
手に入れることのできないもの

幹と枝の向こう側には
空が心のように
縹渺(ひょうびょう)と広がっている
雲が言葉のように
流れていく

落葉樹には
生きていくために
確かめなければならないことがある

◆認知症を患っての二十四年間。母は言葉をなくし、歩かなくなり、食べることもなくなっていった。そんな母の命に寄り添いながら、母は手放しながら、私には想像もつかないほどの大きなものを手に入れているに違いないと、思うようになった。◆無辺際に広がる真っ青な空を見ると、すっかり忘れてしまった「確かめなければならないこと」を思い出しそうになるのだけれど、なかなか思い出せない。心の奥底に広がっている生きる意味のようなもの?生まれる前のこの世界との固い約束?私たちは齢を重ね、手放しながらそれらを少しずつ確かめているのだろうか。◆この詩「落葉樹」の原型は、母が認知症になった頃の今から二十数年前に書いた。そして、少しずつ形を変えて、今の詩「落葉樹」になった。また、この詩をもとに具体的にリライトしたのが詩「捨てる」。詩集『マザー』や詩集『手をつないで見上げた空は』に掲載している詩「落葉樹」や詩「捨てる」と比べてみてもらいたい。私と一緒に生き続けている一篇の詩。この詩を、今日は北海道の十勝の写真とともにどうぞ。【エッセ・詩・写真*藤川幸之助】

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