彼岸*詩「彼岸花」

◆今日26日は彼岸の明けだ。いつもなら彼岸のことはすっかり忘れているのだが、彼岸の入りの20日にスーパーでおはぎを見かけて、今年は彼岸に気がついた。この「おはぎ」は「ぼた餅」とも言う。萩(はぎ)の花の咲くこの秋彼岸に作るのが「おはぎ」で、牡丹(ぼたん)の咲く春彼岸に作るのが「ぼた餅」なのだそうだ。◆このおはぎの旨い彼岸とは向こう岸のこと。向こう岸に広がる生死を超越した悟りの世界のことなのだそうだ。私のようなできの悪い此岸にいる人間には想像もつかない世界だが、そこに咲く花は知っている。彼岸花だ。今年もとても美しく咲いている。◆数年前、まだ母が生きていた彼岸の中日に、花びらもまばらになった不格好な彼岸花が目にとまった。ただ、黄緑色の茎が一筋、空へその思いを届けるかのようにスッと伸びていた。手を施さないと生きていけなくなった母に似ていると思った。◆彼岸花は、その花が朽ちた後、冬の初め頃に線状の葉が出て、冬を越し春には枯れてしまうのだそうだ。母という彼岸花に葉が出るまでは、私が母の葉になろう。そして、冬という母の命の終わりの季節を、目をそらさず、しっかり見つめて行こうと、一輪の朽ちかけた彼岸花を見て思ったのだった。その時、書いた詩「彼岸花」を今日はどうぞ。
【エッセー・詩・イラスト*藤川幸之助】

彼岸花
             藤川幸之助
冬になるのはよく分かっているつもりだが
この前まであんなに暑かったのに
まだ長袖なんか着るわけいかないなあとか
何日か前まで冷房を入れていたのに
もうセーターを着るのかとか考えてしまう。
そう考えている間も
少しずつではあるけれど
季節はどんどん進んでいく。

母の認知症もまた少しずつではあるけれど
断固として止まることなく進んでいく。
排泄のできないお尻のために
オムツがはめられる。
歩けない足の代わりに
車イスが用意される。
飲み込めない口の代わりに
母の胃には胃瘻が通る。
車イスからずれ落ちそうになる
母の体を支えるために
マットやタオルが体にはさみこまれる。
舌根が落ちて母が苦しがるので、
呼吸がしやすい体勢を見つけるために
ああでもないこうでもないと
悪戦苦闘する病室の窓から彼岸花が見えた。

「母さんこれじゃまるで
ポンコツのサイボーグみたいだなあ。」
人並みの命を手に入れるために
いろんなものを加えられていく母。
もとより母の季節を止めることも
母の季節を逆戻りさせることも私にはできない。
せめて遅らせることができればと・・・。
花びらも散りかけ、茎だけ伸びた
不格好な彼岸花が
病室の窓から一輪見えた。

彼岸花緑高