愚か*詩「愚かな病」

愚かな病
          藤川幸之助
むかしむかしのこと
認知症を痴呆症と言っていた
「痴呆」を私の辞書で引くと
「愚かなこと」と出る
母の病気は愚かになっていく病気らしい

この病気を抱えながら二十数年
必死に生きてきた母のその一日一日
何も分からないかもしれない
何もできないかもしれないけれど
母は決して愚かではない

そんな母の姿を受け入れられず
ウロウロするなと
何度も何度も苛立ち
訳のわからないことを言うなと
繰り返し叱り
よだれを垂らす母を
恥ずかしいと思った
私の方がよっぽど愚かなのだ

忘れ手放し捨てながら
母は空いたその手に
もっと大切なものを
受け取っているにちがいない
その大切なものを瞳に湛えて
静かに母は私を見つめている
      詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)より

◆母が認知症になった二十数年前は、まだまだ家族が認知症だということを隠し、家から一歩も外へ出そうとしない家庭もあった。一方、私の父は全く恥ずかしがるそぶりもなく、「おれの大切な妻だぞ、何が恥ずかしいものか。」と、母と手をつないで外を堂々と歩いた。息子の私は少々恥ずかしくて、後ろから他人のふりをして歩いていたのを覚えている。「馬鹿が歩いとる」と、母を指さす人もいた。◆「愚」という漢字は、音符の「禺」(グ)と「心」からできていて、「禺」とは猿に似た怠け者の象徴。心の働きが鈍いことを意味する。母は何も分からないし、何もできないかもしれない。しかし、鈍いどころか心はしっかりと働いていて、しっかりとこの世界を「感じて」いた。◆その意味からも母は決して愚かではない。本当に愚かなのは、母の気持ちなど分かろうとせず、母を恥ずかしがった私や病気を抱えて必死に生きる母を指さして罵った者なのではないかと思うのだ。◆今日は母が亡くなる数年前に書いた詩「愚かな病」をどうぞ。【エッセ・詩・写真*藤川幸之助】
言葉12