詩「ウソ」*嘘つきのパラドックス

ウソ
           藤川幸之助
ウソは思った
本当はホントウでいたいと

人の口から出ると同時に
自分が真実でないことを
ウソはうすうすと気づいていたが
ウソにはウソなりのプライドがあって
ウソのままでいることが
自分の真実なのだと
ウソはいつも自分に言い聞かせていた

ウソである自分が
人の口から生まれるときの
人の心の醜さも
人の心の弱さも
人の心の頼りなさも
時には小さな優しさになることも
ウソは知っていた

自分がいなくなれば
この地球は真実に近づくけれど
この世に自分がいない分
人の心が嘘に満ちてしまう
ホントウの顔をして
ホントウと真実を争うことは
結局は人の心を苦しめることになることを
ウソは知っていた

だから
ウソは嘘をつくことにした
嘘の嘘は真実
そう思って
ウソを突き通すのを止めて
ときどきウソは嘘をつくことにしたのだ
              2014/08/21書き下ろし

▲「エピメニデスの嘘つきのパラドックス(EPIMENIDES’LIAR PARADOX)」というのがある。クレタ島出身の哲学者エピメニデス(紀元前6世紀)は、「全てのクレタ人は嘘つきだ」と、言ったと伝えられているが、これがとてもやっかいな文なのだ。エピメニデスがクレタ人ということは、エピメニデスも嘘つきであって、その嘘つきが言った言葉「全てのクレタ人は嘘つきだ」というのは嘘になってしまう。これが、「嘘つきのパラドックス」といわれるもの。▲このパラドックスからすると、自分が嘘つきであると、高らかに宣言することは決してできないと言うことになる。「私は嘘つきだ」と、ある人が宣言したとしよう。すると同時に、その嘘つきの人が言った「私は嘘つきだ」という言葉も嘘になる。つまり、その人は正直者になってしまう。だから、人は自分の事を「嘘つきだ」とは決して言えないのだ。▲嘘つきも時には真実を言う時もあるだろう。正直者もたまには嘘を言う時もあるかもしれない。「嘘」なんてものは人間はみんな持ち合わせていて、その持っている分量や度合いの違いで、嘘つきだとか正直者だとか言われるのかもしれない。と、パラドックスの中を彷徨っていたら、「悪人が善をなすこともあれば、善人が悪をなすこともあり」という池波正太郎の言葉を思い出した。行いの黒白によって簡単に人は見分けられないものなのだ。今日はノンセンスな詩「ウソ」をどうぞ。【エッセ・詩・写真*藤川幸之助】

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