▲地元の新聞「長崎新聞」での連載がこの3月で終わった。詩と短いエッセーと私の撮った写真で構成した記事。「母の詩 支える側が支えられるとき」という題で、認知症の母とのことを書いてきた。第1回は2007年7月4日なので、六年八ヶ月書いてきたことになる。足かけ七年も書き続けていれば、いろんなことがある。▲母の入院する病院を出ると、手に「母の詩」の記事を握りしめて、「私も介護をしています。辛い日々の繰り返しですが、毎月の詩に感謝しています。」と、涙を流しながら深々と頭を下げる人がいた。講演後のサイン会で、「毎月切り取って大切にしています」と、ファイリングされた「母の詩」を宝物のように見せてくれた人がいた。ある年の瀬、正月用に母に花を買うと、その花を包(くる)んだ新聞紙には私の書いた連載が載っていた。母へのいいプレゼントになった。▲人の役に立とうと詩を書いた覚えは一度もない。ただ書かずにいられない感情や思いを詩にしたためてきただけだ。そんな私の書いた詩が人の心や生活の中にそっと入り込んでいる姿を見ると、この連載を書き続けてきてよかったと思う。▲定年もなく、年や年度の区切りも少ない作家稼業には、連載の終わりというのは一つの節目になる。六年間ということはさながら小学校の卒業式のようなもの。作家は読者に育てられるということを、しみじみと感じた月日だった。「母の詩」という新聞紙に包んだ宝物のような日々が私の手元には残った。
最終回には詩「母の遺言」という詩を掲載した。
この詩は新刊『命が命を生かす瞬間』に掲載予定だが
今日はその一部をとこの連載の第1回目の原稿のミニチュアを。
母の遺言(一部抜粋) 藤川幸之助
死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
藤川幸之助facebook http://www.facebook.com/fujikawa.konosuke