親ゆえの闇
藤川幸之助
また今朝も新聞にあった
介護中の母を息子が殺したと
母が言うことを聞いてくれず
介護疲れから暴力をふるったと
母殺しを決して美談で語ってはならぬ
しかし、私には指差して非難はできぬ
介護に潜むどす黒い闇
親ゆえの闇
食事をなかなか飲み込めず
一時間も食事が続いたかと思うと
立ってどこかへ行こうとする母に
私は苛立って
「おれの母さんなんだろう
あんなにしっかりしていた
母さんがどうなっちまったんだ
しっかりしてくれ!」
母の両手首をきつく握りしめ
座らせて何度も何度も叱った
驚いた母はのどに唾液を詰まらせて
息ができなくなって咳き込んだ
咳き込む母の背中をたたきながら
私はこのまま母が死んでくれれば
母も私も楽になれるとふと思ってしまった
布団に横たわる母を寝かしつけた
両手首に青あざがあった
背中は見ずに電気を消した
介護に潜むどす黒い闇
親ゆえの闇
明日こそは母へ優しくしようと
毎日毎日自分を責めながらも
この闇の入り口に
私は立ったことがある
◆「親ゆえの闇」という言葉は私の造語。「子ゆえの闇」という言葉になぞらえて作った。「子ゆえの闇」とは、子に対する愛情のために理性を失いがちな親の心を表す言葉である。医療が発達して、高齢化社会になってくると子は親の老いにもつきあわなければならなくなった。私もその一人だが、元気で気丈な母親を知っているだけに、認知症になった母の姿を見ると苛立ち、情けなくなる。つまり、「親ゆえの闇」とは自分の親を介護する際に、親であるがゆえに理性を失いがちな子どもの心を表した言葉とでも言おうか。認知症の高齢者の世話をしながら、「自分の親ならばこんなに優しくできませんよ」と言う介護職の人も多く知っている。
今日の詩のような体験をして、私は母を施設に入れることにした。母親を施設に入れるとは何事だと叱られたこともあった。母を施設に放り出したむごい息子だと思われているのではないかと、人の目ばかりが気になった。献身的に自宅で介護している人のテレビ番組を見て自分を責めた。でも、これが私の認知症の母との距離感なのだ。介護との距離の取り方なのだ。あのまま、母と暮らしていたら、「親ゆえの闇」の中に迷い込み、私も母に暴力をふるっていたかもしれない。親を施設にあずけるのが一番いいと言っているのではない。深い愛情を持って、自宅でしっかりと介護ができる人もいる。自分と親の介護との距離感をしっかりとつかまなくてはならないと思うのだ。
母が認知症になった二十数年前は、相談するにも相談する場所が少なかったが、今は相談する場所も多くなった。地域の役所、病院、地域包括支援センター、社会福祉協議会、近くの施設、認知症の人と家族の会。まずは独りで悩まず各所に相談をしていただきたいと切に願う。人の目を気にして、闇へ迷い込むようなことになってはならない。
※認知症の人と家族の会・電話相談 電話0120-294-456