「幸」は手枷(てかせ)のこと*詩「空は答える」

◆「幸」の反対は?と問われたらなんと答えます?私の場合自分の名前の中心に「幸」が鎮座し、毎日のように書いているので、その答えは容易に分かる。答えは「幸」。この漢字の左右を反対にしても、見ようによっては上下を反対にしても「幸」になるのだ。幸せは反対にしても幸せのままで、決して不幸などではない。◆しかし、この「幸」という漢字は不幸の星の下に生まれているようだ。もともとこの「幸」は手枷(てかせ)の形を表す漢字らしい。人から自由を奪う刑の道具が「幸」とは面白い。「幸」はめられていない「手枷」がそこにあるということ。手枷をはめられる危険を危うくのがれた幸運を表しているらしい。幸せというものは、手枷足枷のようにいつもとらわれて考えていると、人は自由を失っていくと言いかえるのは、言い過ぎか。◆認知症の母の介護をはじめた頃、こんな毎日がいつまで続くのだろうかと思っていた。こんな毎日に幸せなんてない、いつになったら幸せになれるのだと思っていた。しかし、振り返ると私を思い悩ませ自由を奪っていたそんな日々こそが、私の手枷足枷であり、つまり「幸」だったのだともこの漢字は教えてくれる。◆「苦をなくすことが、むしろ人間が人間になっていくことを奪ってしまう」という哲学者・鷲田清一さんの言葉を思い出す。私も母の介護という経験から、少しは一人前の人間になっているのかもしれない。これを幸せと言わずして何を幸せというのか。
【詩・エッセ・写真 藤川幸之助】

空は答える
       藤川幸之助

きみは、空の私を見上げて聞く。
幸せって
この壁の向こう側に落ちているのかと。
空の私は答える。
壁の向こう側は、きみのそちら側と
まったく同じだと。

きみは、空の私を見上げて尋ねる。
それじゃ幸せって
あの山の向こう側から鳥が背中に乗せて運んでくるのかと。
空の私は答える。
山の向こう側は、きみのいるそちら側と
そんなに変わらないのだと。

きみは、また空の私を見上げて聞く。
幸せって
その雲の裏側にかくれているのかと。
空の私は答える。
雲のこちら側は、ただ雲が白く広がっているだけだ
ほかに何もないと。

きみは私に尋ねる。
幸せって
トンネルの向こう側からトランクに入れて人が運んでくるのかと。
空の私は答える。
トンネルの向こう側の人もきみと
同じような事を言っているのだと。

きみは、海に映った空の私に尋ねる。
ならば、悲しみって
西の水平線の向こう側に夕日といっしょに沈んでしまうのかと。
私は答える。
水平線の向こう側には、きみの見ている水平線と
まったく同じ水平線があるだけだと。

きみはまた空の私を見上げて尋ねる。
幸せってなんですか?と。
私は答える。
きみの笑顔を見ると、
私はとても幸せになるんだと。
きみは空の私を静かに見上げて
「これが幸せというものなのですか」とほほえむ。
空の私は高く青く輝く。

 詩集『やわらかなまっすぐ』(2007年・PHP出版)の詩「幸せ」を改題リライト
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