YouTubeとインスタントラーメン◆朗読「紡ぐ」

◆「ラーメンの刺身」こんなもの、誰も聞いたことも食べたこともないだろうが、高校の時その名付け親の友人が食わせてくれた。腹減ったら直ぐに何でも食べるという感じの食事で、インスタントラーメンをそのままつぶしてスープを振りかけてバリバリと食べる。ただそれだけ。調理をしないでそのまま食べるのでラーメンの「刺身」というわけだ。チキンラーメンは鯛の刺身なのだそうだ。◆食えたものではなかった。いくらインスタントラーメンといっても、お湯で戻してスープと煮込んで初めてそのうまみが分かる。詩も同じなのかもしれない。本に載ったままでは人の心に伝わりにくい詩が、講演などで朗読をすると私の言葉が人の心に響いていると感じる時があるのだ。詩も調理前の乾燥麺と同じことで、味わうためにはお湯で戻して付属のスープを入れて煮込むと味わい深くなるのかもしれない。さしずめお湯が朗読で、付属のスープは私の表情や雰囲気なのかもしれない。◆そこで、詩の調理のお手伝いをYouTubeにしてもらうことにした。自宅のリビングで撮って、編集したもの。ちなみにこの動画の左側の絵は詩集『やわらかなまっすぐの』の表紙の原画。私の調理が詩をまずくすることになっていなければいいが。これから朗読をYouTubeで配信予定。ご試聴いただければ嬉しい。◇詩「紡ぐ」は、新刊の詩集『命が命を生かす瞬間』に掲載している詩。福島の友人の施設の開所に贈った詩。この東日本大震災で私もいろんなことを考え直した。以下の言葉はこの詩の最後の部分で、その思いを書いた。人と人とが関わっていくことを、「紡ぐ」という言葉で表現している。味付けはこれぐらいにしてご試聴ください。
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紡がずにはいられなかったあの日
便利さ故に見失っていたこと
豊かさ故に忘れていたこと
私が細い細い一本であったこと
故に私は紡ぎ続ける
(詩集『命が命を生かす瞬間』藤川幸之助より)

YouTube 朗読 詩「紡ぐ」藤川幸之助

 

朗読をどうぞ・詩「宇宙遊泳」mp3

▲今日、朗読を聞いていただく「宇宙遊泳」は、『手をつないで見上げた空は』ポプラ社に掲載の詩。この詩集は、詩集『マザー』(ポプラ社)に高橋和枝さんが絵を付けてくださったもので、昨年ソフトカバーで再版本も出た。その中の詩「宇宙遊泳」は、私が36歳の頃の作。母が認知症になって10年たった頃に書いたもので、イメージ通りに動かない母の行動に苛立ちながらも、ふと見せる母親としての姿に驚いていた頃だった。▲2008年に出たこの本の初版本は、カバーが切り抜いてあり、そこから本の表紙がのぞく凝った作りだった。では、朗読をお聞きください。
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詩「宇宙遊泳」←ClickHere
■ 音楽 : 家高 毅
■ 語り : 村山 仁志
■ 構成 : 松本 篤彦
■ 詩  : 藤川 幸之助

詩「宇宙遊泳」

木の箱に入れてある
私のへその緒
そのへその緒がしまってある
タンスの横のテレビで
初めて宇宙遊泳の映像を見た
宇宙ロケットアポロの映像だった
この時あの命綱が切れてしまえば
どこまでもどこまでも
真っ暗な宇宙の闇を
たった一人で浮遊し続ける
と父から聞いた
その時私は母にしがみついた

母のお腹から出てきて
宇宙遊泳を始めて三十六年
「息子である」という命綱も
もう古びて
切れそうになっている
それどころか
私のつながれている宇宙船が
操縦不能になってしまって
私がその頼りない命綱で
宇宙船を引き寄せたり
右へやったり左へやったり
時にはおしめを代えたり
その宇宙船を
寝かしつけてから
宇宙の暗闇に漂いながら
もうこの命綱を切ってしまおうかなと

ふと夜中目を開けると
私の宇宙船が
私の命綱の絡まりをほどき
そのほころびを繕っていた
そして
私の体にふとんを
かけ直していた
私は
寝ているふりをした

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錆と空と海、そしてAZZURO E MARRONE。

▲自分にも分からない自分自身のことがある。私は無性に錆(さび)が好きなのだ。なぜか晴天の日は幼い頃から錆を見つけるとずっと見つめていたくなるし、大人になってからは海辺の錆が特に好きになったのだ。悪い結果のことを「身から出た錆」と言うし、海辺の錆などは塩害の代表的なもの。こんなものを何で私は好きなのだろうかと、長年謎であったが、ある時突然その謎が解けたのだ。▲雑誌を見ていたらAZZURO E MARRONEという言葉が目に飛び込んできた。イタリア語でアズーロ・エ・マローネと読み、AZZUROは青色で、MARRONEは栗のような茶色のこと。ワールドカップでおなじみの青軍団イタリア代表はアズーリと言うが、これはアズーロの複数形で、そういえばマロンといえば栗のことでマローネに似ている。この青色と茶色の配色がイタリアでは最高の組み合わせと言われているらしい。▲青空と錆、海と錆、これぞまさしくアズーロ・エ・マローネ。この配色が私は好きだったのだ。この頃、スーツやジャケットもネイビーが多いし、靴やベルトは茶色ばかり使っている。持ち物を調べてみると、下の写真の感じ。ああ、そうかあ。青と茶色は補色になるなあ。
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▲空も海も自分に合う調和の色をおのずから作り出していたというわけだ。青空から吹く風に、幼い頃のブランコのチェーンはさびついていた。その色の調和に幼い私は見とれていたのだ。海風に時報を知らせる鉄塔はさびついている。その色の調和に私は今も見とれているのだ。最後はイタリア人さながらアッズーロ・エ・マローネ!
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言葉12

エピメニデス・「詩人は嘘つき」か?

▲今日は朝起きて本棚から手に取った本がいけなかった。バリー・ローワーの『哲学思想』。開いた場所が「エピメニデスの嘘つきのパラドックス(EPIMENIDES’LIAR PARADOX)」。一日中、嘘についてずっと考える羽目になってしまった。▲クレタ島出身の哲学者エピメニデス(紀元前6世紀)は、「全てのクレタ人は嘘つきだ」と、言ったと伝えられているが、これがとてもやっかいな文なのだ。エピメニデスがクレタ人ということは、エピメニデスも嘘つきであって、その嘘つきが言った言葉「全てのクレタ人は嘘つきだ」は嘘になる。これが、「嘘つきのパラドックス」といわれるもの。▲このパラドックスからすると、自分が嘘つきであると、高らかに宣言することは決してできないと言うことになる。つまり、「私は嘘つきだ」と私が言うことは、同時に嘘つきの私が嘘を言っていることになるので、私がこの言葉を発したと同時に「私は嘘つきだ」は嘘になってしまうのだ。「詩人は嘘つきだ」と、ある国語の教師が言ったのを覚えている。詩人の私から見ると、虚構を作っていく小説家の方がよっぽど嘘つきではないかと思うのだが、この文もまた詩人の私にとってはパラドックスになる。▲嘘つきも時には真実を言う時もあるだろう。正直者もたまには嘘を言う時もあるかもしれない。「嘘」なんてものは人間はみんな持ち合わせていて、その持っている分量や度合いの違いで、嘘つきだとか正直者だとか言われるのかもしれない。と、パラドックスの中を彷徨っていたら、「悪人が善をなすこともあれば、善人が悪をなすこともあり」という池波正太郎の言葉を思い出した。「私は嘘つきだ」と言えない人間こそ嘘つきなのだ。この一文にパラドックスは見当たらない。今日はこの辺で。2013/04/25 
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新刊・ポストカード本*その② 介護は足かせか?

▲新刊のポストカード詩集「命が命を生かす瞬間」は、5月13日に発売が決まった。今日は、この中のポストカードの言葉から始めたい。

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大問題が起こったとき
この世界から自分への
問いだと捉え直してみる

▲認知症の母や介護は、最初の内は私にはできれば避けて通りたい大問題であった。しかし、母のできないことを私が代わって一つ一つやるうちに、母の痛みを自分のこととして感じるようになった。そのうち、母の介護は私にとって足かせではなく、母から私への問いかけではないかと思い始めた。老いとは何か?生きるとは何か?死とは?命とは?それに一つ一つ私なりに答えながら生きてきた。その繰り返しの中で私は母に育てられてたような気がするのだ。▲これは社会的な問いでもある。超高齢化とか、認知症の介護などの問題は、現代社会において足かせのようにも思えるが、実は人と人とのつながりを取り戻す良い機会ではないかと私は思うのである。どんなに便利な社会になっても、自分一人では乗り越えられないことがあり、自分がそんな弱い存在であることに気づくこと。これが、コミュニティー再生の鍵だと思うのだ。▲その思いを込めて、もう一枚のポストカードには、以下のような言葉を写真の上に載せている。

便利さ故に見失っていたこと
豊かさ故に忘れていたこと
私が細い細い一本であったこと

その本の色校を今日はご紹介。
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