ペコロスに会いに行く◆岡野雄一さんと対談

◆ペコロスの母ではなく、ペコロスに会いに行った。出版社の対談企画で、あのベストセラーマンガ『ペコロスの母に会いに行く』の作者・岡野雄一さんと会った。対談の出だしに、私はペコロス岡野さんのマンガやテレビドラマを見て何度も涙したことを伝えた。岡野さんも私の詩集を『マザー』のころから何冊も愛読してくださっていて、『ペコロスの母に会いに行く』という題名も拙著『満月の夜、母を施設に置いて』を参考に考えあぐねて付けたということであった。(写真は長崎港をバックに岡野さんと私。ちなみにペコロスとは小型のタマネギ。ああそうか!)
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※撮影はJPSの写真家・松尾順造さん。◆話しているうち、ペコロス岡野さんと私は、共通するところが多いことが分かった。一回り違うものの同じ寅年。お互いの母親が熊本県出身。二人とも作詞作曲をしてギターで歌を歌う。また、母を施設に入れて、それを申し訳ないとお互い思っている。介護の日々の中、岡野さんは漫画を描くことで、私は詩を書くことで救われていた。◆そして、認知症の母親に寄り添っているうちに、「母親に生かされてここにある自分自身」に岡野さんも私も思いが及んでいた。認知症のお母さんを描くことで岡野さんのマンガは日本中に広まった。その11月には映画にもなる。私も岡野さんの足下にも及ばないが、母の命に寄り添う日々から多くの詩が生まれ、多くの方々に読んでいただいた。◆自分の老いと重ねながらの岡野さんの言葉が一番印象に残った。「年をとるっていいなあと最近思うんですね。いま、若い人がたくさん自ら命をたっていくでしょう。だまされたと思って、ハゲるまで生きてみろと、本当にそう思います。」私もまた母を通して同じように老いを感じたことがある。今日はその言葉とポストカードでブログを締めくくりたい。(◆以下カードと詩は『命が命を生かす瞬間』藤川幸之助より)2013年06月26日01時35分56秒老いて鈍くなることは
失うことではない
幸せや自由を
取り戻しているのだ

認知症になって、母は病気が進むにつれて鈍くなっていった。病気で変わっていく自分の姿も何とも感じなくなって、天衣無縫の母になっていった。鈍くなって、やりたいことはやって、母はいつも幸せそうな顔をしていた。母は鈍くなっていったのではなく、鈍さを獲得してきたのだ。母は老いていっているのではない。老いを獲得しているのだとさえ思う。
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Life is All Like That.◆詩「お襁褓」

◆このところ大橋トリオのCDばかり聞いていたので、今日は久しぶりに渡辺貞夫を朝から聞きながら仕事をした。「SADAO 2000」渡辺貞夫と私の大好きなベーシスト リチャード・ボナとの共同プロデュースによるアルバムだ。その中の「Life is All Like That.」という曲が流れたとき、いろんな思い出が頭をよぎった。このアルバムが出たころは、父が亡くなり母の介護を始めて2年、一番私が混乱していたころだった。今日掲載の詩「お襁褓(むつ)」の中にも書いているように、いつもいつも「こんなことしてる間に仕事がしたいと焦せった/これでは自分の人生は台無しだと悲しかった/こんなことがいつまで続くのかと不安になった」。◆詩人になるという夢をかなえるために、とにかく詩が書きたかった。そう思っても、母の介護と教師をしながらではなかなか詩を書く時間なんて見つからなかった。絶望的だった。そんな時、このアルバムを聞いていたらのんきな曲が流れはじめた。タイトルを見ると、「Life is All Like That.」。「人生そんなもんさ」この言葉にふれた時、力がふっと抜けた。詩を書けないならしょうがない、人生とはそういうものだと。詩を書くのをやめた。まずは母の世話をしっかりやっていこうと思った。詩人になる夢をきっぱりとあきらめた。しかし、それからの認知症の母と向かい合ってきた日々が、私に何と多くのことを教えてくれたことか。そして、何と多くの詩が生まれたか。母の介護を拒ばみ続けていたら、詩人という夢は決して花開かなかったにちがいない。◆臍を固めて生きることで、見えてくる道がある。同時期に読んだ『それでも人生にイエスと言う』にはこうも書いてあった。「あなたがどれほど人生に絶望したとしても、人生があなたに絶望することは決してない。*山田邦男・松田美佳訳」第二次大戦中、ナチス強制収容所から奇蹟的に生還したビクトール・フランクルの言葉だ。私がどれほど深い絶望の縁に立とうとも、人生は私を決して見捨てなかった。今しみじみとこの言葉をかみしめる。◆今日の写真は、この体験から生まれた言葉を載せた新刊『命が命を生かす瞬間(とき)』のポストカード。詩も同著より「お襁褓」。藤川幸之助facebook

『命が命を生かす瞬間』より

お襁褓(むつ)

藤川幸之助
はじめて母のおむつを替えた
狭い便所の中で母は立ったまま
左手の指を口にくわえ
しゃがんだ私を見下ろしていた

おむつをあけると柔らかいウンコがたっぷり
母がそれを触ろうとするので
「母さん、しっかりしろ!」と怒鳴ると
母は驚いてヨダレを垂らしはじめ
私の頭に次から次にヨダレが垂れてきた
私がひるんだすきに母はウンコを触った
「母さん」とあきれて言うと
呼ばれたと勘違いして
ウンコのついた手で私の肩を触ってきた
もううんざりの私は
母のおむつをウンコごと床に投げつけた

おむつを漢字では
衣偏(ころもへん)に強く保つ
心の辺も強く保つと
いつもいつも自分に言い聞かせた

はじめて母のおむつを替えた日
こんなことしてる間に仕事がしたいと焦あせった
これでは自分の人生は台無しだと悲しかった
こんなことがいつまで続くのかと不安になった
母の手を引いてトイレを出ると
母は気持ちがいいのか満面の笑みで
周りの人たちに愛嬌を振りまいていた
なぜか私も一緒になって笑って歩いた
(『命が命を生かす瞬間(とき)』東本願寺出版より)
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母の瞳◆詩「そんな時があった」

◆6月6日に兵庫県の稲美町に講演に行った。650人ほどの方々に聞いていただいた。そのほとんどが還暦を過ぎた方々であった。朗読をしている時、ただひたすらに字面を追っているのではなく、詩を読みながら聞き手の微妙な反応やその雰囲気を私も味わっている。どんなに聴衆が多くても、どんなに会場が広くても、朗読とは読み手も聞き手もお互いに感じ会う場なのだ。この講演会で詩「そんな時があった」を読んだ。
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そんな時があった   藤川幸之助

母よ、私はあなたを殺してしまおうかと
思ったことがあった

あなたの子どもの私が
あなたの親になったとき

私の親のあなたが
私の子どもになったとき

大便にさわりたがるあなたに
大便にさわりたくない私が
「おれの母さんだろう」と叫んだ日

よだれがたれるあなた
よだれで呼吸ができなくなるあなた
「何やってんだ」といらつく私

どうしても指をくわえるあなた
指をくわえさせたくない私

歩き回るあなた
石になってもらいたい私

食べないあなた
でもどうにか食べさせて
元気になって
長生きしてくれと祈った息子の私
その息子の私が
あなたを殺してしまおうかと
思ったことがあった
殺せばあなたのこの認知症という病も
そして、私のこの苦しみも
跡形もなくなくなってしまう
だから、あなたを殺してしまおうかと
思ってしまったことがあった
あったのではなく
そんな気持ちが心のどこか深い所にあって
私にゆっくりと近寄っては
どこか心の深い所に離れていっていた
そんな時が私にはあった

◆講演に来てくださった方々がご高齢ということもあって、読みながら私は父と母のことを思い出していた。この詩を書いた頃は、認知症の母の行動に悩まされ、仕事と介護の生活の中でこの生活がいつまで続くのかと、頭の中はぐちゃぐちゃだった。私をその崖っぷちから救ってくれたのは、幼い頃の母との思い出であった。全くまとまらない幼い私の話を、母は私の両手を取り、しっかりと私を見つめて最後まで聞いてくれた。その母のまっすぐな瞳を思い出したのだ。若い頃から私は母の話などろくに聞いたこともないし、母が認知症になってからは「その話はさっき聞いた。もう黙っといて」と、話を聞いてやることもなかったというのに…。こんなことを思い出しながら、稲美町では上記の詩を朗読していたのだ。◆この詩を初めて新聞に掲載する際、読者の方々にお叱りを受けるのではないかとドキドキした。その時、この詩に添えたコメントを以下に掲載して、今日のブログのまとめにしたい。◆父に母の介護は任せっきりで、私は介護の手伝いという手伝いもろくにやらなかった。そして、父が心臓病でポックリとなくなった。母の認知症の病状も分からない。もちろん介護のやり方は分かるはずもない。私は独り認知症の母の前に放り出された。二人でいると母の奇行に悩まされた。母の世界を理解しようなんて余裕は皆無だった。いつもイライラしていた。母の呑気なあくびが唯一の救いだった。新聞で認知症の母殺しの記事をよく見かける。いかなる理由があろうとも殺すという行為は、決して許されないし、私には理解はできないが、認知症の人を前にして、殺したいと思ってしまうほど混乱している人の心の中は、私には痛いほどよく分かる。しかし、その混乱を乗り越えた向こう側には、雲の向こう側に隠れる青空のような、人生の喜びがあることも私は知っている。
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余韻嫋々

◆4月24日、ある社会福祉法人の実践発表会があった。その特別講演の講師として呼ばれたのだが、その講演会でとても心に残ったことがあった。会の最後に私が2時間ほど話した後、理事長の竹田さんがおのおのの実践発表にコメントをするようになっていたが、「藤川さんの講演の余韻を大切にしたいので、今日はコメントはやめて挨拶だけにします。」と、短く話しを切り上げられたのだ。◆確かに感動や余韻というものは言葉で説明したり、言葉で遮ってしまうとその場から消えてしまう時がある。そのかすかな心の動きや風情や味わいのために、私は言葉を手放すことができるだろうか。自分の詩で感動してもらいたいと、自分の気持ちや思いを分かってもらいたいと思えば思うほど私は言葉を次から次に繰り出してはいないか。余韻や余情といった言外のものを包む器は「沈黙」でしかない。◆そして、その余韻や感動も話し手の私だけで作り出すものではなく、お互いに響き合い生まれるもの。沈黙に近い言葉を探ってみたい。詩人という働きについても余韻嫋々と思った日であった。(今日は言葉を少なめに)
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朗読 詩「道」 掲載「詩集」明日発売

◆これまでの私の人生を振り返ってみると、失敗やつまずきが多く、自分の思うように進まず何度も挫折を味わった人生だった。しかし、そのたびごとに、私の精神は鍛えられ、歩む私の一歩一歩が力強くなってきたように思う。この人生を大切に生きていきたいと思うようになった。◆その思いを、詩にしたのがこの「道」。同人誌に掲載して以来、多くの方に読んでいただき、2011年の北海道の公立高校入試問題ににもなったのだが、まだどの詩集にも掲載していなかった。明日5月13日発売のポストカード詩集『命が命を生かす瞬間』(東本願寺出版)に初めて掲載する。この詩集の最後を締めくくる詩として、写真とともに掲載している。今日はその詩の朗読をYouTubeでご覧ください。
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朗読 詩「道」(詩集『命が命を生かす瞬間』より)