「幸せ」について◆詩「空は答える」

◆今日ご紹介する詩「空は答える」は、詩集『やわらかなまっすぐ』(2007年・PHP出版)の詩「幸せ」を改題リライトしたもの。この頃は、認知症の母の介護をする中で、「幸せ」とは何なのかと考え続ける日々でした。詩集『手をつないで 見上げた空は』(ポプラ社)の扉の詩で、「幸せもまた、ただあるもの。求めるのではなく、気づくものなんだと」と、自分なりの一応の決着をみるのですが、2007年一番迷い続けていた頃の詩を今日はどうぞ。
海と空が交わるところ
空は答える
       藤川幸之助

きみは、空の私を見上げて聞く。
幸せって
この壁の向こう側に落ちているのかと。
空の私は答える。
壁の向こう側は、きみのそちら側と
まったく同じだと。

きみは、空の私を見上げて尋ねる。
それじゃ幸せって
あの山の向こう側から鳥が背中に乗せて運んでくるのかと。
空の私は答える。
山の向こう側は、きみのいるそちら側と
そんなに変わらないのだと。

きみは、また空の私を見上げて聞く。
幸せって
その雲の裏側にかくれているのかと。
空の私は答える。
雲のこちら側は、ただ雲が白く広がっているだけだ
ほかに何もないと。

きみは私に尋ねる。
幸せって
トンネルの向こう側からトランクに入れて人が運んでくるのかと。
空の私は答える。
トンネルの向こう側の人もきみと
同じような事を言っているのだと。

きみは、海に映った空の私に尋ねる。
ならば、悲しみって
西の水平線の向こう側に夕日といっしょに沈んでしまうのかと。
私は答える。
水平線の向こう側には、きみの見ている水平線と
まったく同じ水平線があるだけだと。

きみはまた空の私を見上げて尋ねる。
幸せってなんですか?と。
私は答える。
きみの笑顔を見ると、
私はとても幸せになるんだと。
きみは空の私を静かに見上げて
「これが幸せというものなのですか」とほほえむ。
空の私は高く青く輝く。

 詩集『やわらかなまっすぐ』(2007年・PHP出版)の詩「幸せ」を改題リライト

人を支えるということ◆詩「バス停のイス」

◆これまで「支える側が支えられるとき」という演題で講演をしてきた。一昨年までは、その最後に詩「バス停のイス」を朗読してきた。認知症の母や介護への私の思いが一番詰まっている作品だと感じていたからだ。◆私はいつもいつも自分の意に染まない状況になると、そこから逃げることばかり考える。母の介護をすることになったときも、そうだった。何で私ばかりこんな役が回ってくるのかと、いつも悶々としていた。◆この詩は、そんな時に、バスの中から見た光景。壊れかけたイス数脚。それに腰掛け、数人の若者が談笑していた。イスは、人を腰掛けさせ、人を支えるためだけに生まれてくる。もしも、私がイスに生まれていたら、「それが私なんだもの」と言えるはずもなく、いつも恨み言ばかりだろうなあと思った。◆しかし、逃げようともがきながらも、認知症の母の世話をしているうちに、私の人生から「人を支えること」を差し引いたら、何も残らないと思った。この詩を書くことでさえ、人を支えるときがあると。イスだけではなく、人もまた人を支えるために生まれ、人と関わり、人を支え、つながることで、人は人となり得ていく。イスを見て、いつもその思いを確かめる。◆今日は、詩「バス停のイス」とイスの写真(『命が命を生かす瞬間』東本願寺出版より)を。     (写真・言葉ともに藤川幸之助)
2013年07月25日16時54分42秒

「バス停のイス」    藤川幸之助

バス停にほったらかしの
雨ざらしのあの木のイス。
今にもバラバラに
ほどけてしまいそうな
あのイス。

バスを待つ人を座らせ
歩き疲れた老人を憩(いこ)わせ
時にはじゃま者扱いされ
けっとばされ
毎日のように
学校帰りの子どもを楽しませる。

支える。
支える。
崩れていく自分を
必死に支えながらも
人を支え続け
「それが私なんだもの」とつぶやく。

そのイスに座り
そのつぶやきが聞こえた日は
どれだけ人を愛したかを
一日の終わり静かに考える。
少しばかり木のイスの余韻を
尻のあたりに感じながら
〈愛〉の形について考える。
  『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)より

谷川俊太郎さんとの詩集が7刷!facebookpage700Likes!◆感謝を込めて詩「扉」朗読

◆詩集『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)の奥付には、「2008年6月10日初版第1刷発行」と書いてありますので、5年をかけての7刷り。詩人・谷川俊太郎さんと画家・松尾たいこさんと作った本です。私の詩に十数点もの松尾たいこさんの美しいアクリル画が添えてあります。そして、本の最後に谷川俊太郎さんと私との対談「母から詩が降ってくる」が掲載されています。◆この詩集『満月の夜、母を施設に置いて』は、NHKの番組の中でも朗読された谷川俊太郎さんの詩「ただ生きる」が初めて掲載された詩集でもあります。「あとがき」の代わりにこの詩はどうかなあと、奥の部屋から谷川さんが持ってきて、ホイと気軽に手渡してくださったのを憶えています。◆この詩集の中の詩「扉」を、読者の皆さんに感謝の気持ちを込めて朗読します。この詩「扉」は、2000年に出版した詩集『マザー』(ポプラ社)の中の詩「萩の花びら」に、何度何度も筆を入れながら書きつないできた私にとっても大切な詩です。(YouTube動画の中の後の絵は本文p68の松尾たいこさん絵の原画です。)◆追記:facebookページを立ち上げて1ヶ月、皆さんのおかげで700Likes(いいね)。心より感謝しています。

YouTube 朗読 詩「扉」藤川幸之助

【 扉 】      (藤川幸之助)

母を老人ホームに入れた

認知症の老人たちの中で
静かに座って私を見つめる母が
涙の向こう側にぼんやり見えた
私が帰ろうとすると
何も分かるはずもない母が
私の手をぎゅっとつかんだ
そしてどこまでもどこまでも
私の後を付いてきた

私がホームから帰ってしまうと
私が出ていった重い扉の前に
母はぴったりとくっついて
ずっとその扉を見つめているんだと聞いた

それでも
母を老人ホームに入れたまま
私は帰る
母にとっては重い重い扉を
私はひょいと開けて
また今日も帰る

『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
藤川幸之助facebookページ http://www.facebook.com/fujikawa.konosuke

今を生き直す◆詩「数を数える」

◆好きな言葉がある。この言葉を口にすると肩の力がぬけて気が楽になる。「前後際断」。「~をする際」という用例からも分かるように、「際」は「時」を表す言葉で「前後際」とは、前と後ろの時、つまり過去(前際)と未来(後際)のこと。過去と未来を断つことが「前後際断」。◆この言葉を私なりに説明するとこうなる。もつれた一本の釣り糸がある。もつれたままでは釣りもままならない。そこで、そのもつれの前後を切って、もつれを取り除く。そして、切った両端を結びつけると、不格好だがまた元の一本の釣り糸になる。つまり、過去の出来事や未来の不安によってこんがらがったものを考え続けて悩むより、時には切り取りポイと捨て、すっかり忘れ去って「今を生き直す」ことも必要だということ。◆これまで、認知症の母を前にして悲しみ、苛立ち、怒り、過去を振り返り自分を責め、いつまでも続きそうな介護の未来を見つめて不安になっても、この言葉でどうにか私は生き直してきた。今日は、時間をテーマに書いた詩とその詩に付けたイラストをどうぞ。
イラスト*藤川幸之助
数を数える

数を数える
藤川幸之助
私は今までいくつまで数を
数えたことがあるのだろう
そして、今まで数えた数の総和は
いくつに上るのだろう
人は八十年もすれば死んで
この地球からいなくなる
これを日に直し
時間に直し
秒に直してみる
二十五億秒の人生
生まれて時計の秒針に合わせ
二十五億ぐらい数えれば
何にもしなくても人生は幕を閉じる

コンビニで買った
チョコレートの数を数えている間も
今日やらなくてはならない
用事を数えている間も
私に向かって打ち寄せる
波の満ち引きを数えている間も
夜空を見上げて
星の数を数えている間も
その夜空をわたる鳥の
不安を数えあげている間も
私たちは確実に死へと向かっている
この一秒一秒のどこかの一秒の隣に
私が存在しないこの地球があって

過去を振り返り後悔するわけでもなく
明日の方をみて不安になるわけでもなく
ただこの今を数える
ただこの一瞬を生きる
二十五億秒分の一秒一秒を
私は産み吐きだし捨てていく。

詩集『やわらかなまっすぐ』に関連作品
藤川幸之助facebook http://www.facebook.com/fujikawa.konosuke

「春一番」供養塔◆改めて「あの日」を考える

◆長崎県の壱岐島に講演に行った。郷ノ浦という所にあるホテルの側に「春一番供養塔」とあった。供養するとは「春一番」とは人だったのか?確かにこの名の芸人はいるが、立春のころに吹く、その年初めての南風のことではないのかと、興味津々覗いてみた。◆「春一番」という言葉はこの壱岐の地で生まれた言葉であった。1859年2月13日五島沖に出漁した郷ノ浦町の漁船がこの春に吹く強風によって転覆し53人の死者を出した。それ以降、春のはじめのこの強い南風を「春一」または「春一番」と呼び、漁師らに恐れられているということであった。「春一番」の供養塔とは、その海難者の供養塔だったのだ。春を謳歌する喜びの言葉だと思っていたら、もともとは悲しみから生まれた言葉だったのだ。この自然災害を忘れまいとする地元民の大切な言葉。それ以来、毎年旧暦の2月13日は漁を休んで海難者の冥福を祈っているのだそうだ。◆しかし、時間が過ぎると少しずつ少しずつ人は忘れていく。そして、言葉は変質していく、私の中のこの「春一番」という言葉のように。東日本大震災から2年4ヶ月、もう忘れてはいないか。地震で多くの人が悲しみ、絶望の中を彷徨ったあの3月11日を。決して忘れまじ。あの日の悲しみを心に湛えながら今も必死に生きている人々のことを。いまだに解決の糸口も見えない悲しみや絶望の中を彷徨っている人々のことを。そして、あの日から学んだ教訓を。◆福島の友人から、津波が襲ってきたとき「私を置いて早く逃げろ」と叫んで消えていった車いすの母親のことを聞いた。自分だったらどうしただろうかと、認知症の母を見つめながら心の中で哀しみをかみ砕くかのように何度も何度も自問自答を繰り返したのを憶えている。今日は、東日本大震災直後に被災者の方々に向けて書いた詩「生き抜く」とこの震災後、教訓のように胸に浮かんだ言葉を添えた写真(『命が命を生かす瞬間(とき)』(東本願寺出版)より)を。
2013年07月03日00時30分04秒

生き抜く ~東日本大震災で被災された方々へ~
            藤川幸之助
津波が襲ってきたとき
「私を置いて早く逃げろ」
と、叫ぶ車いすの母を
置き去りにして
命からがら避難してきた息子
目の前で流されていく娘に
手を伸ばしても手を伸ばしても
どうすることもできなかった父親
小学校に登校したまま帰らない
息子を探し続ける母親
一人一人にそれぞれ違った悲しみが
数え切れないほどあることを知りました

あなたの悲しみは
私の中のどんな悲しみより悲しいのだと
あなたの涙を見たときに思いました
あなたの抱いた絶望は
私の中のどんな絶望より深いのだと
あなたの悲しみに耐える
その後ろ姿を見たときに感じました

でも、あなたは生きてください
どんなに辛くても
生き抜いてほしいのです
あなたの愛した大切な人が
生きたくても生きたくても
生きることができなかった
今日というこの日の上に
あなたは立って
その大切な一日を
あなたの愛した人の分まで
あなたにはしっかりと生きてほしいのです
生き抜いてほしいのです

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