「たたずむ」ということ◆詩「空っぽ」

◆「たたずむ」ということは、何かをすることなんだろうか。それとも、何もしないことなんだろうか。言葉のない、私のことも分からない認知症の母の側に座っていつも考えていた。母の側に「たたずむ」ことは意味があることなんだろうか。それとも、無意味なことなのか。そんなことを考えることもあった。母のために何かをすることだけが介護だと思っていたからだ。◆ある日、秋の青空の下にたたずむと、何も言わない空にやさしく包まれている気がした。それから、静かに母の側に座れるようになった。意味や無意味も越えて、何もせず何も考えずに母を見つめ、母に耳を澄まして、母の側にじっとたたずめるようになった。ただ側にたたずむ私が母をやさしく包んでいるのではないかと思えるようになったのだ。今日は詩「空っぽ」を。

空っぽ
       藤川幸之助
青空を見るとうれしくなる
それは、青空が空っぽだから
空っぽの青空は
何にも言わないで
ぼくをやさしく抱きしめてくれる

「幸せ 幸せ」と
言葉で願っているぼくは
幸せではなかった
「希望だ 希望だ」と
言葉で叫んでいるぼくには
希望などもてなかった
「愛だ 愛だ」と
言葉で伝えているぼくから
人は愛など感じてはいなかった
幸せも希望も愛も
それはただの言葉だった

ぼくらは青空という
大きな空っぽに包まれて
生まれ
受け取り
与え
全てを手放して
空っぽになっていく

言葉ではない
意味でもない
ただ聞くだけの
ただ見つめるだけの
ただそこにいるだけの
ぼくがいる
空のような
ぼくがいる

ぼくの空っぽが
やさしく人を抱きしめる

「この手の空っぽは
 君のために空けてある」(PHP出版)より

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二十数年変わらないこと◆詩「ぼくの漁り火」

◆私のfacebookページを探し当てた友人からメッセージが届いた。「今、私の手元に平成3年7月発行の『日本児童文学』があります。その中に『ぼくの漁り火』という藤川さんの作品があり、今読んでいました。これは藤川さんから頂いた本です。すごく嬉しそうに俺に下さったのを覚えています。アパートに遊びに行って不在やったんで、これは絶対に海にいるはずと思って車で向かったら、藤川さんが1人で海辺に座っていたのを懐かしく思い出します。」◆同期に教職に就いた友人からの久しぶりの便り。メールのくだりは、二十代の頃、日本児童文学者協会の賞をもらって、その作品が雑誌に掲載された時のこと。自分の作品が活字になって、人の目に触れることがなんと嬉しかったことか。詩を書くことが楽しくてしょうがなかった。あれからずっと詩を書き続けているんだと今更ながら思った。詩を書くその喜びは今も変わらない。母の介護を体験したせいか、若い頃からすると私の人生すっかり変わってしまったと思っていたが、変わらないものもあるのだと思った。そういえば、今でも私は時間があれば一人で海辺に座っている。その『ぼくの漁り火』という詩を。

月から降りてくる人

 

 

 

 

 

 

絵・藤川幸之助

 

ぼくの漁り火
          藤川幸之助
ぼくの父ちゃんは
日がくれかかると
小型船にのりこんで
夕日へ向かう
しばらくすると
真っ赤に光る
水平線の上に
星となって輝きはじめる
そのうちに
隣のおいちゃんも
ノブの父ちゃんも
みんな輝きはじめる

水平線が消え
二倍にふくらんだ
大きな夜空に
どんな星座よりきれいな
一直線の星座が見える
父ちゃん達の漁り火座が見える
その中でも
汗を流し
海をもっとしょっぱくしている
父ちゃんの星は
一番光っている
夜空のどんな星より
輝いている

大きな空から
父ちゃんの星から
ここに打ち寄せてくる波は
父ちゃんの掛け声なのだ
「ヨイセ ヨイセ ホイセ ホイセ」
ちょっと冷たくなった
海に手をつけて
父ちゃんのあったかさを感じた
詩集『こころインデックス』銀の鈴社

今夜は十六夜(いざよい)◆詩「こんな所」

◆経験というトンネルをくぐることで、同じ月でも違って見えるものだ。この詩を書いた頃は、まだ母は少しばかり話し、歩くこともできたので、他のお年寄りと比べて、まだ母の方がましだと思っていた。母は認知症じゃないと、どこかでまだ母の病気を受け入れることができなかったのかもしれない。満月の夜には、母を施設へ置いて帰った日のことを思い出す。あの時とは違う自分を、あの時と全く同じ月が淡く照らす。そして、あの時と全く同じ黒い影が、私をじっと見つめている。今夜は十六夜(いざよい)。満月を過ぎるとなぜかホッとする。絵・藤川幸之助
トンネルの向こう側
「こんな所」
           藤川幸之助
始終口を開けヨダレを垂れ流し
息子におしめを替えられる身体の動かない母親。
大声を出して娘をしかりつけ
拳で殴りつける呆けた父親。
行く場所も帰る場所も忘れ去って
延々と歩き続ける老女。
鏡に向かって叫び続け
しまいには自分の顔におこりツバを吐きかける男。
うろつき他人の病室に入り、
しかられ子供のようにビクビクして、うなだれる老人。

父が入院したので、
認知症の母を病院の隣にある施設に連れて行った。
「こんな所」へ母を入れるのかと思った。
そう思ってもどうしてやることもできず
母をおいて帰った。
兄と私が帰ろうとすると
いっしょに帰るものだと思っていて
施設の人の静止を振り切って
出口まで私たちといっしょに歩いた。
施設の人の静止をどうしても振り切ろうとする母は
数人の施設の人に連れて行かれ
私たち家族は別れた。
こんな中で母は今日は眠ることができるのか。
こんな中で母は大丈夫か。
とめどなく涙が流れた。
月のきれいな夜だった。
真っ黒い自分の影をじっと見つめた。

それから母にも私にも時は流れ
母は始終口を開けヨダレを垂れ流し
息子におしめを替えられ
大声を出し
行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続け
鏡に向かって叫びはしなかったが
うろつき他人の病室に入り
しかられ子供のようにうなだれもした。
「こんな所」と思った私も
同じ情景を母の中に見ながら
「こんな母」なんて決して思わなくなった。
「こんな所」を見ても
今は決して奇妙には見えない
お年寄り達の必死に生きる姿に見える。
『まなざしかいご』(中央法規出版)を改行、加筆。

一日一生◆詩「母の遺言」

◆母が生きていた時は、認知症の母を通して自分自身や自分の人生を見つめることが多かった。母が亡くなってから、自分の顔をまじまじと見るようになった。自分の人生を自分のために生き直そうかという思いのあらわれなのだろうか。◆これまで、母の死を見つめながらいつも頭の中で反芻していた言葉がある。「一日一生」。一日を一生に例えると、朝起きることは生まれることであり、「一日」は私の人生、そして夜寝るのは死の時なのである。一生は一年一年の積み重ねであり、その一年一年は一日一日の積み重ねでもある。この一日一日を一生のように大切に生きると言うこと。つまり、この一日を最期の日だと思って、精一杯生き直すということなのだ。さあ!今日も、この私の、人生を、生き直そう!◆今日の詩「母の遺言」は、最新刊『命が命を生かす瞬間(とき)』の中の詩だ。実は、この本のタイトルは『母の遺言』にしようと思っていた。1000Likesを越えた記念に感謝を込めて、私にとって思い入れの強い詩を今日はどうぞ。

母の遺言
       藤川幸之助

二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた

残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった

最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた

死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
   『命が命を生かす瞬間(とき)』(東本願寺出版)より
詩人は嘘つきか?

藤川幸之助facebook http://www.facebook.com/fujikawa.konosuke

「幸せ」について、また◆詩「四つ葉の幸せ」

◆今日は、詩集『まなざしかいご』(中央法規)より詩を一編どうぞ。

四つ葉の幸せ
          藤川幸之助
四つ葉のクローバーは
見つけると幸せが訪れるという。
小さい頃から
いくつもいくつも
四つ葉のクローバーを見つけては
母がしおりを作ってくれたが
幸せはそうやすやすとは訪れなかった。

幸せとは訪れるのではなく
心の中に見つけるものだ。
そう気づいて
四つ葉のクローバーを見つけるように
心の中に幸せを見つけ続けた。
認知症の母との一日一日の中でも。

クローバーについては続きの話がある。
五つ葉は金銭上の幸せ。
六つ葉は地位や名声を手に入れる幸せ。
七つ葉は九死に一生を得るといったような
最大の幸せを意味すると。
五つも六つも七つもいらないなあと思う。
四つ葉で十分だと思う。

母のしおりには言葉が添えられている
「四つ葉を手にすることより
四つ葉を見つけることを楽しみなさい」と。
「四つ葉」を「幸せ」と置き換えて
母の言葉を読んでみる。

四つ葉さがし (from 藤川幸之助-pcS8)