ただあなたと生きる幸せ◆詩「二人の日課表」

◆大橋トリオの新譜『MAGIC』を聞いた。私の大好きなレナード・コーエン「Hallelujah」やデヴィッド・ボウイ「Starman」などのカバー曲も入っているとても聴き応えのあるアルバムだ。その中に「スノードロップ」というオリジナル曲がある。その歌詞に「この雪のようにただ音もなく/光のようにただその声はなく/ただあなたと生きる幸せ」とある。◆認知症で言葉がなくなった母を命がけで愛した父のことを思い出した。二人の間では言葉のやりとりなどは全くなかった。ただ父が母を優しく見つめると、母は無邪気に父に抱きついた。幸せそうな二人の笑顔を思い出した。私はあまりにも生きることに意味を求め過ぎてはいないか。愛することに意味を求めすぎてはいないか。ただあなたと生きることのできる幸せを私は忘れてはいないか。いつも大切なことは単純で心の一番近くにある。今日はそんな父母二人の詩とポストカードを、おかげさまで11月1日に増刷になった『命が命を生かす瞬間』(東本願寺出版)から。
2013年12月13日00時12分00秒
二人の日課表
         藤川幸之助
日課表にあわせて二人は暮らしていた
六時三〇分◆お母さんといっしょに起きる
六時四〇分◆お母さんと布団をたたむ
六時五〇分◆お母さんと歯を磨く
こんなふうに一日は始まって
十時〇〇分◆お母さんといっしょに散歩
昼食が終われば
三時〇〇分◆お母さんといっしょに歌う
二人で「旅りょ愁しゅう」を歌っていた
認知症が進んで母が歌えなくなると
「更ふけゆく秋の夜 旅の空の…」
と、父は母の手を握って毎日歌っていた
調子のはずれた下手な歌だったけれど
母はとても嬉うれしそうだった

日課表にあわせて一日が終わる
十時〇〇分◆お母さんと布団を敷く
布団を二床ならべて横になり
二人はじゃんけんをした
どっちが勝っても負けても
「今日もお母さんの勝ちばい」
と、父が言うと
母が満面の笑みを浮かべて
二人の一日は終わっていた

父が亡くなってからも
父の声まねをして「旅愁」を歌う
父の声まねをしてじゃんけんをする
もう天井を静かに見るだけの母が
このときばかりは大声を出して私を見つめるのだ
何でも忘れ去ってしまう認知症でも
忘れ去ることができないものがある
何でも消し去ってしまう認知症にでも
消し去ることができないものがある
     (『命が命を生かす瞬間』より)

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二人からの言葉◆詩「身体の記憶」

◆お二人から新詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)への言葉が届いた。この二人とは、谷川俊太郎さんと鎌田實さん。私の尊敬するお二人だ。◆十九才の時、谷川俊太郎さんの詩集『日々の地図』を読んで、私は詩人を志した。谷川さんの著作は全て読んだ。水平線のような人だった。目標にして詩を書き続けた。たどり着いたと思ったら、また遠くに谷川さんは水平線のようにいた。気がつけば私も三十数年詩を書き続けていた。そんな谷川さんから新詩集への言葉が送られてきた。「藤川さんは何かを全うされたのだと思います。でもその何かは言葉にできないし、言葉にしたくないほど大きく深いものです。」◆もうお一人は鎌田實さん。私の心から尊敬する医師で作家でもある。「それぞれの人生のなかに、命の道しるべの経験があると思う。」という鎌田さんの言葉で、母の介護の愚痴ばっかり言っていた私が、認知症の母を受け入れることができるようになった。その鎌田さんから突然の電話。とても優しい柔らかい声だった。次の日、毎日新聞の鎌田さんのコラムに詩集『徘徊と笑うなかれ』の紹介とともに、次のことが書かれていた。「ぼくはこの詩人の詩が好きで、以前、ラジオ番組で朗読したことがある。老いて言葉を失ったお母さんが、命とは何か、生きるとは何か、という問いに、存在そのもので答えていると感じる。」(毎日新聞2013.10.29)と。今日は、その詩集『徘徊と笑うなかれ』から、詩「身体の記憶」と「あとがき」の抜粋を。
豈榊ュ・85                 絵・岡田知子(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版より)
身体の記憶
          藤川幸之助
この季節になると
とにかく認知症の母は汗をかく
母の身体を毎日のようにふく
この母の身体には
私の幼い頃の縮図が描かれている

もう歩くことを忘れた足が
母の体からすっと伸びている
臆病な私はいつもこの足にしがみついた
もう抱きしめることを忘れた腕
その腕から分かれた五本の指は
指し示すことも握ることもしない
この手にどれだけ励まされ叱られ
抱きしめられたか
父に内緒でもらった家出の金も
この手が渡してくれた

赤ん坊の私が乳を吸う時
いつも触ってたのでちぎれそうだと
母がよく話した胸のホクロは
まだちぎれずにしっかりと残っている
病弱な私をこの背中に背負って
夜中、母は何度病院へかけたか
このヘソとつながって
この世界へ私は生まれてきた
母の口は何も語らないが
母のこの身体は私の幼い頃を雄弁に語る

着替えさせたパジャマやタオルを
毎日のように洗濯し
毎日のようにたたむ
おれは忙しんだよと愚痴りながらも
せずにはいられない
母の身体には
私の幼い頃の縮図が眠っている
(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版より)

母には言葉もありませんし、意味のある動きもありませんでした。そこに存在するだけで母は私を育ててくれていたのです。私は今、母に生かされてここにある自分自身を深く感じています。ずっと私は「できる」ことが本来の人間の姿だと思い違いをしていました。だから、認知症になって何もかもできなくなっていく母を見て、人間としてだめになっていると思っていましたが、母はだめになっていったのではなく、生まれた時のような「存在そのもの」に返って、その返っていく姿で私を育てていたのです。
(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版・あとがきより抜粋)
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すきなうた◆詩「さようなら」「母の遺言」

◆先ほどまでは、この文の題を「好きな詩」にしていたんだが、星野源の「くせのうた」を聞いて書いていたら、ひらがなで「すきなうた」と書きたくなった。他に深い理由はない。ひらがなで書いた「すきなうた」の中には「棚(たな)」も、「キス(きす)」も、「襷(たすき)」も、「鉈(なた)」も、「砂(すな)」も、「滝(たき)」もあって、いろんな物語が蠢くので「ひらがな」は面白い。◆そんな、棚の上に置いて大切にしたい、キスをするぐらい愛している、襷に託して人に渡したいぐらい「すきなうた」が、拙作の詩の中にもある。その詩のできが良いというわけでもないし、誰かに褒められたからと言うわけでもない。ただわけもなくすきな詩があるのだ。自分ではその理由が分からないので、そう言ってお知らせするしかない。この11月から講演でこの「すきなうた」を朗読するようになった。すきなものはすきなんだもの人に知らせたくなる。◆「ひらがな」のせいか、星野源の歌のせいか、なんかゆるくゆったりした文になってしまった。今日はその「すきなうた」、詩「さよなら」「母の遺言」をどうぞ。
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さようなら
      藤川幸之助
さようならは「左様なら」と書き
そうであるならばしょうがない
別れましょうという別れの言葉
そういえば今まで一度も母にさようならと
言ったことがなかった
行ってきますとか
元気でねとか
母さんまたねとか言って
母と別れてきた

母との最期の別れには
結局間に合わなかった
母は冷たくなっていた
亡くなる前数ヶ月間の
母の苦しそうな顔とは打って変わって
ゆったりした顔だった
どこか笑っているようにも見えた

私は母を支え母は私を育て
一つの大きな仕事を成し遂げたような
父との約束を果たせたような
母の天寿を全うさせたような
あの世の父へ母を手渡せたような
何よりもう母は苦しまなくていい
涙は出たが悲しみではなかった

言葉がないのは
生きていたときと同じだったが
どれだけ母の手を握ろうとも
私の温みは伝わらなかった
どうやっても私のまなざしは
母に届かなかった
そうであるならばしょうがない
今度ばかりは「さようなら」
(『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版より)
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母の遺言
       藤川幸之助
二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた

残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった

最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた

死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
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詩集に入れ忘れた詩◆詩「コスモス」

◆私にはよくあることだが、詩集が出来上がってから「また入れ忘れていた!」という詩がある。今日のこの「コスモス」という詩がそうだ。気に入らなかったわけでもなく、できが悪かったわけでもない。ただ、書きっぱなしで忘れていたというもの。◆先ほど、ブログにどの詩を掲載しようかフォルダーを探していたところ、その忘れていた詩が見つかった。今日は詩「コスモス」とその詩に添えたエッセを。

コスモス
            藤川幸之助
コスモスの花は
アンテナを広げて
受信しているように見える。
宇宙の方をじっと見つめて
言葉ではない何かを
受け取っているように。

この二十年
母と言葉を交わしたことがない。
母の心の本当のところを
分かったことなどない。
私が言葉で話しかけ
言葉でないもので母は答えてきた。

言葉を失った母は
抱きかかえると驚くほど軽い。
母の重さは
言葉の重さでも
身体の重さでもなく
存在の重さ。
抱きかかえられ
愛された遠い記憶。

言葉のないあなたの心の声を
聞こうとする。
言葉のないあなたの心の痛みを
感じようとする。
分からないかもしれない
でも私は分かろうとする。
大切なのは分かることではない。
分かろうとすること。
感じること。
私は母をしっかりと見つめて
今日も母を受信する。

◆コスモスの花はパラボラアンテナのようだと、秋が来るごとに思う。そのアンテナで、それぞれのコスモスの花は、花それぞれの美しさとその色を受信しているように、私には見える。そして、あれだけ広く群生すれば、電波も混線するのだろう。コスモスにいろんな色や模様があるのはそのせいなのだ。と、コスモスを前にいろいろと考えているうち、花を見るのを忘れていた。花と向き合う時のような、感じたり、味わったりする世界には、あまり言葉は持ち込まない方がいい。大切なものを見失うからだ。◆言葉のない母と向き合うときも同じこと。言葉を通して、分かるとか分からないとか、できるとかできないとかで母を見ていたら、いつまでたっても埒が明かない。感じることが残った母と向き合うには、こちらも感じることを忘れてはならない。母をじっと見つめ、母の手をしっかりと握る。藤川幸之助2010年10月28日長崎新聞
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初心忘るべからず◆詩「家族」

◆「初心忘るべからず」は、世阿弥の『花鏡』の中の言葉。読んでみると「初志を貫徹すること」とはすこしばかり違うようだ。初心者という言葉からも分かるように、初心とは「物事を習い始めの状態」のこと。つまり、物事を習い始めた未熟な時、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら身につけたことを忘れるなということのようだ。◆この言葉の後には、「時々の初心忘るべからず」「老後の初心忘るべからず」と続く。詩人という私の生業に当てはめると、いくつになって年相応に書ける作品というものがあって、その時々に自分自身の未熟さを受け入れながら、慢心することなく挑み作品を作り続けていくと言うことか。◆今日は、詩を書き始めた十代の頃の詩を2篇。
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家族
         藤川幸之助
 初冬
 一番暖かそうな
 石をえらんで
 こしを下ろした。

 大きな石の間に
 小さな石
 小さな石の間に
 もっと小さな石
 みんな静かに寄りそい
 海をながめている。

 投げるはずだった小石を
 もとの場所へもどす 
 できるだけ正確に
 できるだけ静かに。

やわらかなまっすぐ  
        藤川幸之助
 心と
 言葉が
 ぴったりの時
 言葉はまっすぐ
 まっすぐは
 人を倒してまで
 突き進もうとするけれど
 やわらかな心から出た
 まっすぐは
 やわらかなまっすぐで
 相手の心の形に合わせて
 大きくなったり小さくなったり
 いろんな形に変わったりしながら
 またまっすぐになって
 進んでいく
 心と
 言葉が
 ぴったりの時