メラビアンの法則*詩「父の分まで」

◆メラビアンの法則とは、アメリカの心理学者・アルバート・メラビアン(Albert Mehrabian)が調査の結果から導き出した法則だ(メラビアンの「7-38-55のルール」)。人と人とが直接顔を合わせるコミュニケーションには、言語、声のトーン、ボディーランゲージの三つの基本的な要素があり、これらの要素が矛盾した内容を送っているとき、言葉がメッセージ伝達に占める割合は7 %、声のトーンや口調は38 %、ボディーランゲージは55 %であったという法則。◆例えば、嫌な顔をしながら、目線を合わせず、気乗りのしない声で「あなたを愛しているよ」という言葉を言った場合、「愛している」という言葉より、嫌な顔をしながら、目線を合わせず、気乗りのしない声のイメージの方が伝わっているというもの。このように好意(実は反感を伝える場合も)を相手に伝えるとき、コミュニケーションを効果的にするためには、これら三つの要素が互いに支えあい、三つの要素は一致する必要があるというものだ。愛を伝える時は「目は口ほどにものを言う」のである。◆父は認知症の母に接するときはいつもいつも笑顔だった。どんなことがあろうと母を見つめるときだけは、表情は笑顔に一変し、父は優しいまなざしで母を見つめ、母をしっかりと抱きしめた。母は認知症と診断された初期の頃から言葉がなかったけれども、優しい口調で父は母に語りかけていた。メラビアンの法則に当てはめれば、母に言葉が分からなくても父から母に伝わった愛のメッセージはしっかりと伝わっているということになるのだろうか。◆あるフォーラムの後、東京医科大教授・岩本俊彦さんから興味深いことを聞いた。岩本さんによると、介護の際、お年寄りに笑顔で接すると、お年寄りがとても落ち着き、認知症の周辺症状(徘徊など)が少なくなっていくのだそうだ。◆そういえば、父が母を介護しているときは、母の徘徊は全くなかった。他の周辺症状もあまり見なかったように思う。情けないことに徘徊などが多くなったのは私が母の介護を始めてからだ。父の笑顔は母にとって温かく安らげる場所であったに違いない。認知症で世界が分からなくなっていく自覚のあった母にとって、不安と恐怖と悲しさだらけのこの世界の中で、父の笑顔は自分を優しく照らしてくれる唯一の灯りだったのではないかと思うのである。
{言葉・詩・写真・藤川幸之助}

父の分まで
         藤川幸之助
父はいつも手をつないで
認知症の母を連れて歩いた。
「何が恥ずかしいもんか
 おれの大切な人だもの」
父の口癖だった。

立ち止まっては
いつも母に優しいまなざしを向けて
「大好きなお母さん
 ずっと側におるよ
 死ぬときはいっしょたい」
と、父はいつも言った。
母は屈託のない笑顔を父に返した。

父は過労でぽっくりと逝き
母と一緒にあの世へは行けなかった。
父をまねて母の手を握る。
母の手はいつも冷たい。
私の温かさが母へ伝わっていくのが分かる。
伝わっていくのは言葉ではない。
父をまねて母を笑顔で見つめる。
母は嬉しそうに私を見つめ返す。
伝わってくるのも言葉ではない。

父をまねて
言葉のない母の心の声を聞こうとする。
言葉のない母の心の痛みを感じようとする。
分からないかもしれない。
でも私は分かろうとする。
手をつなぎ、母を見つめて
私は父の分まで母を分かろうとする。

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幸せになるただ一つの方法*詩「手をつないで見上げた空は」

◆定期的に写真を撮る場所がある。海沿いの細い道を通ってそこにたどり着く。その途中に小さな墓地があって、その中の一つの墓にこう彫ってある。「確実に幸福な人となるただ一つの道は人を愛することだ。」と。私の記憶では、これはトルストイの言葉であったと思うが、亡くなった方の好きだった言葉か、遺言か。◆ここを通ると、私は「幸せ」について考えはじめ、にわかにこの言葉のように私はできないと思うが、幸せになれるのであればやってみようかといつも思うのだ。そう思っている内に撮影場所に着いて、撮影を始めると、いつもこの言葉のことはすっかり忘れてしまう。そして、また数週間後ここへ来て、この言葉を見つめて幸せのことを考える。その繰り返し、私はなかなか幸せにたどり着けないのだ。                
                            ◆写真・詩・エッセ*藤川幸之助
手をつないで見上げた空は
        藤川幸之助
幼い頃
手をつないで見上げると母がいた
青空は母よりもっと遠くにあって
大きな白い雲が一つ流れていた
幸せのことなんて考えたことなかった

私がつまずき失敗をすると
私の手を両手で優しく包んで
母はいつも青空の話をした
雲が流れ雲に覆われ
青空は見えなくなり
時には雨が降るから
青空を待ちこがれて
青空の美しさに
心打たれるんだと
何度失敗して何度つまずいたことか
そして何度この話を聞いたことか

認知症の母との日々の中で
苛立ちという雲が出て
悲しみという雨が降った
私は何度も失敗してつまずいても
母は何も言ってくれなくなったが
手をつないで散歩をすると
いつも母は静かに空を見上げていた

青空がただ頭上に広がっている
幸せもまたただあるもの
求めるのではなく
気づくものなんだ

空を見上げるといつもいつも思う
           詩集『手をつないで見上げた空は』(ポプラ社)をリライト
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「歩く」と「歩む」*詩「あなたは歩み続ける」

◆「歩(あゆ)む」は、一歩一歩の足取りに焦点を当てた言葉だそうだ。つまり、目標を定めて確実に進行するのを「歩む」という。それに対し、「歩(ある)く」とはとりとめもなくあちこち移動すること。◆目的もなく散漫に歩きまわっているように見えた母の徘徊は、端から見たら「歩く」だろう。しかし、頭の中に広がる母の物語を、母は一歩一歩大切に「歩んで」いるようにも私には見えた。◆幼少の頃遊んだ草原を花を摘みながら母は歩き、夢を語り合いながら若かりし頃の父と並んで海辺を歩き、生まれたばかりの息子を背負い、息子の将来に思いをはせながら母は歩いているように私には見えたのだ。◆今日の詩の本当の題名は「あなたは歩き続ける」。詩集『まなざしかいご』(中央法規)の最後にあとがきとして書いた詩だが、今日からこの詩の題を「あなたは歩み続ける」にしようかと思う。

あなたは歩み続ける
         藤川幸之助
「お迎えがきたので帰ります」
夕刻になると
あなたは歩き出す
この世界の決まり事なんか
あなたには何にも関係なくて
あなたの行き着く場所なんか
この世界のどこにもなくて

あなたは歩く
飛ぶことを飛んでいる鳥のように
泳ぐことを泳いでいる魚のように
あなたは歩くことを歩く
あなたの歩く姿が
ふと美しく見えるときがある

あなたは歩き続ける
どこへ?
人生で一番楽しかったあの時間へ
あなたが生まれたあの家へ
愛する人と結ばれたあの場所へ
幼い頃泳いだあの海へ
笑い声が飛び交ったあのちゃぶ台へ
肩を組みあったあの職場へ

私があなたと歩きましょう
あなたが向かっている故郷の話をしながら
私があなたと歩きましょう
あなたの歌ったあの歌を一緒に歌いながら
不安なときは
私の手を握ってください
悲しいときは
愛する人の名前で私を呼んでください
疲れたときは
私と一緒に帰りましょう
あなたが帰るべき場所へ
そして、また明日
あなたの思い出の中を
一緒に歩きましょう
            詩集『まなざしかいご』(中央法規)より
SDIM1389 (from 藤川幸之助-pcS8)

【親ゆえの闇*詩「親ゆえの闇」】

親ゆえの闇
         藤川幸之助
また今朝も新聞にあった
介護中の母を息子が殺したと
母が言うことを聞いてくれず
介護疲れから暴力をふるったと
母殺しを決して美談で語ってはならぬ
しかし、私には指差して非難はできぬ
介護に潜むどす黒い闇
親ゆえの闇

食事をなかなか飲み込めず
一時間も食事が続いたかと思うと
立ってどこかへ行こうとする母に
私は苛立って
「おれの母さんなんだろう
 あんなにしっかりしていた
 母さんがどうなっちまったんだ
 しっかりしてくれ!」
母の両手首をきつく握りしめ
座らせて何度も何度も叱った
驚いた母はのどに唾液を詰まらせて
息ができなくなって咳き込んだ
咳き込む母の背中をたたきながら
私はこのまま母が死んでくれれば
母も私も楽になれるとふと思ってしまった

布団に横たわる母を寝かしつけた
両手首に青あざがあった
背中は見ずに電気を消した
介護に潜むどす黒い闇
親ゆえの闇
明日こそは母へ優しくしようと
毎日毎日自分を責めながらも
この闇の入り口に
私は立ったことがある

◆「親ゆえの闇」という言葉は私の造語。「子ゆえの闇」という言葉になぞらえて作った。「子ゆえの闇」とは、子に対する愛情のために理性を失いがちな親の心を表す言葉である。医療が発達して、高齢化社会になってくると子は親の老いにもつきあわなければならなくなった。私もその一人だが、元気で気丈な母親を知っているだけに、認知症になった母の姿を見ると苛立ち、情けなくなる。つまり、「親ゆえの闇」とは自分の親を介護する際に、親であるがゆえに理性を失いがちな子どもの心を表した言葉とでも言おうか。認知症の高齢者の世話をしながら、「自分の親ならばこんなに優しくできませんよ」と言う介護職の人も多く知っている。
 今日の詩のような体験をして、私は母を施設に入れることにした。母親を施設に入れるとは何事だと叱られたこともあった。母を施設に放り出したむごい息子だと思われているのではないかと、人の目ばかりが気になった。献身的に自宅で介護している人のテレビ番組を見て自分を責めた。でも、これが私の認知症の母との距離感なのだ。介護との距離の取り方なのだ。あのまま、母と暮らしていたら、「親ゆえの闇」の中に迷い込み、私も母に暴力をふるっていたかもしれない。親を施設にあずけるのが一番いいと言っているのではない。深い愛情を持って、自宅でしっかりと介護ができる人もいる。自分と親の介護との距離感をしっかりとつかまなくてはならないと思うのだ。
 母が認知症になった二十数年前は、相談するにも相談する場所が少なかったが、今は相談する場所も多くなった。地域の役所、病院、地域包括支援センター、社会福祉協議会、近くの施設、認知症の人と家族の会。まずは独りで悩まず各所に相談をしていただきたいと切に願う。人の目を気にして、闇へ迷い込むようなことになってはならない。

※認知症の人と家族の会・電話相談 電話0120-294-456

写真・詩・エッセ 藤川幸之助
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「悲しさ」と「悲しみ」の違い*詩「悲しみ」

悲しみ
         藤川幸之助
公衆便所で母のオムツを替えた
「カッカッカッ」と
母が笑うように何か言ったので
「母さんのウンコだぞ」と
母を叱りつけたが
「カッカッカッ」と
まだ笑い続けるので
オムツを床にたたきつけた

オムツを替え終わり
ウンコの飛び散った床を拭いた
その間に母がいなくなってしまった
「もういいかげんにしてくれ!」
母を捜しながら
このまま母がいなくなれば
私は楽になるかもしれないと

半日探した
母は亡くなった父と二人でよく行った
公園の芝生の上に座って
遠くに流れる夏の雲を見つめていた
さっきまで死んでもいいと思っていた
この私がよかったよかったと
母の手を取り涙を流した
母はまた「カッカッカッ」と笑った

だから私には分かるのだ
他人には無意味な母の叫びでも
それが悲しみだと
あの笑っているような母の声は
ぼけた自分をまのあたりにした悲しみだと
私にはしっかりと分かるのだ

◆「重さ」と「重み」は少しばかり違う。「赤ちゃんの重さ」とくれば何千グラムとなり、数値で表すことになる。つまり、「~さ」は相対的で客観的な表現で、それに比べ、「赤ちゃんの重み」となると赤ちゃんを抱いている者の感覚が「重み」の中に入り込んでくる。つまり、接尾語の「~み」が付くと、感覚的で主観的な表現に変わる。◆先日、友人の写真を見て、「この色味が良いんだよね」とメールを打った後、色にも味があるんだと独り思ったが、この「色味」の「味」は当て字で、本来は「色み」と書き、「重み」の接尾語の「~み」と同じもの。つまり、感覚的で主観的な色合いということになる。味というのは、とても感覚的で、主観的なものであるので、このように言葉が変わるのは面白い。◆今日の詩の題もはじめは「悲しさ」だった。そんなある時、ある人からこんな話を聞いた。認知症の母親がお漏らしすることが多くなり、初めてオムツをはめてあげた時、ボケて何も分からないと思っていた母親が突然「こんなになってしまって、お前に迷惑をかけるなあ」と泣き出したのだそうだ。私の母も言葉にできなかっただけで、同じような気持ちだったのではないかと後悔のように思った。◆それでこの詩の題名を「悲しみ」にかえた。私には到底分からない母の悲しさ。母にしか分からない深い悲しさ。だから、私はこの詩の題名を「悲しみ」にした。
悲しみ