一瞬の魔法の時間*詩「魔法瓶」

◆先日、ホテルで「食堂はどこですか?」と尋ねて、「レストランは・・・」と言い直されてしまった。スプーンももうとっくに「さじ」とは言わなくなったし、運動靴なんて言葉もスニーカーやシューズに隠れて見えなくなってしまった。もちろん下駄箱なんて言う人もいなくなって、カメラを写真機と言っていた父の事が懐かしい。◆「魔法瓶(まほうびん)」と聞いて、ポットのことだと分かる若者はどれだけいるだろうか。私などは、コタツの裾のお盆の上に急須とともにおかれていたのを、いろんな思い出とともに思い出す。確か胴の当たりが焦げ茶色のタイガーの魔法瓶だったと思う。昭和40年代私が幼い頃は、お湯を保温することでさえ「魔法」だった。◆母が認知症になった時も、ふと私のこの人生は魔法にかかってしまったんではないかと思ってしまったことがあった。いや、思いこもうとしたというのが正しい言い方かもしれない。認知症の母が「幸ちゃん、実はお母さんはボケた振りをしとるとよ」と言って、この魔法が解けるのではないかと思ったり、「私は今までなんばしよったとね」と、ふっと目が覚めたように母が私を見つめるのではないかと思ったりもしたものだった。◆しかし、人生にかけられた魔法なんてどこにもなくて、現実は24年間続いた。母の介護中も時間を見つけて、よく夕刻の海を写真機で写しに行った。魔法にかかったような夕暮れの海の様子を見ると、一瞬だけでも現実から離れられた。今思えば、一瞬だったけれどあの一瞬の魔法の時間があったから、あの現実と向きあえていられたように思うのだ。今日は詩「魔法瓶」をどうぞ。
【エッセ・詩・写真*藤川幸之助】

魔法瓶
            藤川幸之助
魔法瓶は思った
私は魔法をかけられているのか
それとも
誰かに魔法をかけていたのだったかと

魔法をかけられているのなら
私はもともと何者なのか
それとも
魔法をかけていたのならば
何のために魔法をかけたのかと

思い出そうとするのだけれど
なかなかそれが難しい
自分の中のお湯がなくなり
全て急須に注ぎ終わった瞬間
思い出しそうになるけれど
すぐにお湯を入れられて
またすっかり忘れてしまう

だから魔法瓶と呼ばれて
アラジンのランプのように思われても
奇跡なんか何にもなくて
まいいかと
いつものように
ただただ私はこの温みを守る
                2014/09/04書き下ろし
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愚か*詩「愚かな病」

愚かな病
          藤川幸之助
むかしむかしのこと
認知症を痴呆症と言っていた
「痴呆」を私の辞書で引くと
「愚かなこと」と出る
母の病気は愚かになっていく病気らしい

この病気を抱えながら二十数年
必死に生きてきた母のその一日一日
何も分からないかもしれない
何もできないかもしれないけれど
母は決して愚かではない

そんな母の姿を受け入れられず
ウロウロするなと
何度も何度も苛立ち
訳のわからないことを言うなと
繰り返し叱り
よだれを垂らす母を
恥ずかしいと思った
私の方がよっぽど愚かなのだ

忘れ手放し捨てながら
母は空いたその手に
もっと大切なものを
受け取っているにちがいない
その大切なものを瞳に湛えて
静かに母は私を見つめている
      詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)より

◆母が認知症になった二十数年前は、まだまだ家族が認知症だということを隠し、家から一歩も外へ出そうとしない家庭もあった。一方、私の父は全く恥ずかしがるそぶりもなく、「おれの大切な妻だぞ、何が恥ずかしいものか。」と、母と手をつないで外を堂々と歩いた。息子の私は少々恥ずかしくて、後ろから他人のふりをして歩いていたのを覚えている。「馬鹿が歩いとる」と、母を指さす人もいた。◆「愚」という漢字は、音符の「禺」(グ)と「心」からできていて、「禺」とは猿に似た怠け者の象徴。心の働きが鈍いことを意味する。母は何も分からないし、何もできないかもしれない。しかし、鈍いどころか心はしっかりと働いていて、しっかりとこの世界を「感じて」いた。◆その意味からも母は決して愚かではない。本当に愚かなのは、母の気持ちなど分かろうとせず、母を恥ずかしがった私や病気を抱えて必死に生きる母を指さして罵った者なのではないかと思うのだ。◆今日は母が亡くなる数年前に書いた詩「愚かな病」をどうぞ。【エッセ・詩・写真*藤川幸之助】
言葉12

詩「ウソ」*嘘つきのパラドックス

ウソ
           藤川幸之助
ウソは思った
本当はホントウでいたいと

人の口から出ると同時に
自分が真実でないことを
ウソはうすうすと気づいていたが
ウソにはウソなりのプライドがあって
ウソのままでいることが
自分の真実なのだと
ウソはいつも自分に言い聞かせていた

ウソである自分が
人の口から生まれるときの
人の心の醜さも
人の心の弱さも
人の心の頼りなさも
時には小さな優しさになることも
ウソは知っていた

自分がいなくなれば
この地球は真実に近づくけれど
この世に自分がいない分
人の心が嘘に満ちてしまう
ホントウの顔をして
ホントウと真実を争うことは
結局は人の心を苦しめることになることを
ウソは知っていた

だから
ウソは嘘をつくことにした
嘘の嘘は真実
そう思って
ウソを突き通すのを止めて
ときどきウソは嘘をつくことにしたのだ
              2014/08/21書き下ろし

▲「エピメニデスの嘘つきのパラドックス(EPIMENIDES’LIAR PARADOX)」というのがある。クレタ島出身の哲学者エピメニデス(紀元前6世紀)は、「全てのクレタ人は嘘つきだ」と、言ったと伝えられているが、これがとてもやっかいな文なのだ。エピメニデスがクレタ人ということは、エピメニデスも嘘つきであって、その嘘つきが言った言葉「全てのクレタ人は嘘つきだ」というのは嘘になってしまう。これが、「嘘つきのパラドックス」といわれるもの。▲このパラドックスからすると、自分が嘘つきであると、高らかに宣言することは決してできないと言うことになる。「私は嘘つきだ」と、ある人が宣言したとしよう。すると同時に、その嘘つきの人が言った「私は嘘つきだ」という言葉も嘘になる。つまり、その人は正直者になってしまう。だから、人は自分の事を「嘘つきだ」とは決して言えないのだ。▲嘘つきも時には真実を言う時もあるだろう。正直者もたまには嘘を言う時もあるかもしれない。「嘘」なんてものは人間はみんな持ち合わせていて、その持っている分量や度合いの違いで、嘘つきだとか正直者だとか言われるのかもしれない。と、パラドックスの中を彷徨っていたら、「悪人が善をなすこともあれば、善人が悪をなすこともあり」という池波正太郎の言葉を思い出した。行いの黒白によって簡単に人は見分けられないものなのだ。今日はノンセンスな詩「ウソ」をどうぞ。【エッセ・詩・写真*藤川幸之助】

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エウブリデスの砂山*詩「パソコン」

◆エウブリデスとは、紀元前4世紀ごろ哲学者。彼は様々なパラドックスを考えた。パラドックスというのは、正しいと思われる前提と妥当な推論があるけれど、受け入れがたい結論になること。◆エウブリデスの砂山というのもその一つ。砂山という砂の山が目の前にあったとき、そこから一粒の砂を取り去っても砂山は砂山のままだ。しかし、そうやって一粒ずつ砂を取り去っていったとき、最終的に一粒だけ残った状態でも「砂山」と言えるのかという哲学的問題である。◆このパラドックスを思い出すと、どの一粒を取った時点でこの砂山は「砂山」と呼ばれなくなるのだろうかと思い、その「一粒」の事を考える。その砂の一粒一粒が時間のようにも思えてきて、これまでの人生が砂山のように見えてくるのだ。その一秒を別の形で生きていれば、この今の自分はなかったのではないかと考えたり、あの一秒の選択が別の選択をしていれば別の人生があったのではなかったかと思ったりもする。◆母の介護をし始めたとき、後悔のような未練のようなことばかり考えていたときがあった。この「今」という時は過去の産物だと勘違いをしていたようにも思う。そうではなく、「今」という時は未来を作る「砂の一粒」であり、人生の一秒なんだと思うようになったのは、それから十数年後。母の認知症や介護を受け入れて、この「今」をしっかり生きることで初めて自分の道が見えてくるのではないかと思い始めた頃だった。今日はそんな迷いの日々に書いた詩「パソコン」をどうぞ。

パソコン
        藤川幸之助

母が私のパソコンを触りたがった
このパソコンはなあ
いろんなソフトを入れたり
いろいろ手を加えていくと
中がぐちゃぐちゃになってきて
プログラムが
こんがらがってきて
動かなくなってしまうことがあるんよ
そんなときは
初期化と言って
全部消してしまって
また最初から
きれいな状態から
真っ白な状態から
始められるんよ
何のしがらみもない
何の病気もない
お母さんのぼけなんてみんな
なくなって
また最初から始められるんよ
どこからやったんやろうな
こんなに人生が狂ってしまったのは
ぼくも母さんも
今度はそこに来たら
もう間違わんのやけどなあ
と仕事をしながら母に言ったら
蠅か何かが
顔に止まったのか
母が首を横に振った

お父さんのせいでも
お前のせいでも
私のせいでも
世間のせいでもないんだよと
母が首を横に振った
そうなるようになっていたんだ
このかっこわるい自分を頑張るしかないんだ
今の自分をやるしかないんだ
と三行
パソコンに書いて保存した
         詩集『手をつないで見上げた空は』(ポプラ社)より
エッセ・詩・写真*藤川幸之助
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詩「夏の風」

夏の風
  藤川幸之助
体温調節がうまくできない母は
気温が上がると高熱を出す
パタパタパタと母をうちわで扇ぐ
「また夏が来たよ
 母さん分かるか?」
いやいや季節は
感じるものだと思い直して
またパタパタパタと

母が寝つくまで
パタパタパタとやっていると
こっちが汗だくになり
その姿はさながら職人が
鰻を焼く時のようになる
母は舌を出して眠っている

先に扇いでくれたのは母だった
蚊帳の中でうちわでゆったりと
むずかる幼い私が眠るまで
母はやさしい風を送ってくれた
その時の風です
お母さんお返しします

母が認知症になって二十二年
私にとっては入道雲より
風鈴を揺らす夏の風より
母が眠るまで母を冷やすこの風が
いつの間にか夏の風物になった

写真・詩・藤川幸之助

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