補完*詩「この手の長さ」

◆母の介護を始める前は、母の誕生日も知らなかった。自分の生活や仕事のことばかりを考えていた。母の事なんて考えたことがなかった。◆しかし、父の遺言で嫌々ながらも母の介護を続けていくうちに、日常や忙しさに隠れて見失っていた母との絆が少しずつ見えてきて、この母の介護の経験は私の心や人生に足りないものを補完してくれる経験ではなかろうかと思った。母の存在が私の人生を補い、私を一人前の人間にしてくれているのではと。その時に作った詩が、今日の「この手の長さ」。◆facebookの管理人さんに再三お知らせいただいている5月13日のTV番組(ハートネットTV・あなたの中の私を失う時~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助)でも朗読予定です。

2014-02-05 15.25.56
この手の長さ
          藤川幸之助

背中のあたりがかゆくて苦しんでいると
「一人では
 何でもかんでもできないように
 手はちょうどいい長さに作ってあるのよ」と母は言って
私の背中の手の届かないあたりを
かいてくれた

そんなに言っていた母も認知症になり
母一人では何にもできなくなった
母一人では渡れない川を
二人で渡りきろう
母一人では登れない山を
二人で越えよう
人が孤独にならないように
人が愛で引き合うように
人が人を必要とするように
人が傲慢にならないように
この手をこのちょうど良い長さに
作ってあるに違いない
私にもとうてい一人では
できないことがある
できない二つのことが
母と私とで
できる二つのことになる日が
来るのかもしれない

私の人生の地図の一部が
母の中にあり
母の人生の地図の一部が
私の中に
きっと潜んでいるに違いない
   『まなざしかいご』(中央法規出版刊)

Less is more.*詩「細い道」

◆Less is more.この言葉は、ドイツ出身の建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉。ミースは、画家のパウル・クレーが教鞭をとったバウハウス(美術と建築の総合的な教育を行った学校)の校長も務めた。そのまま訳すと「より少ないことは、より多いこと」となり、何のことかさっぱり分からなかった。◆ある日、時代劇を見ていたら、長屋の安兵衛さんが病気になった。長屋中は大騒ぎで、ある者は戸板で彼を運び、ある者は医者の元へ走り、ある者は彼の手を握り励ましていた。人と人との繋がりの中での心通う豊かさをTVドラマの出来事ではあったが感じた。◆現在ならば電話一本で救急車が来て、誰にも迷惑をかけず病院へ行けるが、江戸時代はそうはいかない。不便さ故に、乏しさ故に人と人とのつながりが必要だった。この現代は、便利さ故に、豊かさ故に人と人とのつながりが見えづらくなった時代なのだ。◆Less is more.「より少ないことは、より豊かなこと」という訳でどうであろうか。物質的な豊かさや便利さに隠れて見えなくなってしまっている人と人との繋がりや心の豊かさを、もう一度見つめ直す時が来ていることを、この言葉は教えてくれているようにも思う。◆今日は詩「細い道」をどうぞ。【詩・エッセ・イラスト*藤川幸之助】

細い道
  藤川幸之助
この道を通るとき
人と人とはゆずり合う
細く一人が通るのに
やっとの広さだから

そして、顔を見合わせ
人と人とは挨拶を交わす
この道が細い道でよかったと
すれ違う人を待ちながら
時には待たせながら
思うようになった

便利さ故に忘れていたこと
不便さ故に保たれてきたこと
人に向けられた日毎の
ささやかな思いが
この道を細いままにした

静かに交わされる
言葉と言葉の間を
波音が優しく通り過ぎてゆく
私は毎朝海沿いの
細いこの一本の道を通る
           2014.7.11書き下ろし

◆お時間があればご覧ください。
NHK Eテレ(教育テレビ)
ハートネットTV
リハビリ・介護を生きる
あなたの中の私を失う時
~認知症の母を詠む~
詩人・藤川幸之助
◆放送日時
本放送:5月13日 20:00~20:29
再放送:5月19日13:05~13:34

天国への階段

詩「闇(やみ)」◆TV出演のお知らせ

今日は【TV出演のお知らせ】と写真詩集「命が命を生かす瞬間(とき)」(東本願寺出版)より「闇(やみ)」という詩「手帳」のリライト作品を掲載します。

出演のTV放送があります。
番組タイトルと放送日時です。
◆NHK Eテレ(教育テレビ)
ハートネットTV
リハビリ・介護を生きる
あなたの中の私を失う時
~認知症の母を詠む~
詩人・藤川幸之助
◆放送日時
本放送:5月13日(水)20:00~20:29
再放送:5月20日(水)13:05~13:34

R0027385加工

「闇」    藤川幸之助

同じ話ばかり繰り返す母に苛立だった
自分の話ばかりするな!
その話はさっき聞いた!
手で母の口をふさぐときもあった

私から叱られるものだから
母は黙って、聞くふりをして
周りの顔色を見ていた
そして、周りが笑うと
母は一緒に声を立てて笑った
周りの話なんか分かりもしないのに
おかしくも楽しくも何ともなかったのに

数多の忘れてしまったこと
その深い闇に包まれて
ほんの少しの覚えていることが
母の心にはぽつんと灯っていて
足下だけが仄かに明るくて

話に夢中になっていると
母はその場からいなくなっていた
探すと、三面鏡の前で手帳を広げていた
その手帳には
自分の呼び名である「お母さん」と
自分の名前、家族の名前と年齢などが
びっしりと書かれていて
母はそれを鉛筆でなぞりながら
忘れないように何度も何度も
繰り返し唱えていた
    「命が命を生かす瞬間(とき)」(東本願寺出版)より

・―――・―――・◆・―――・―――・
◆【詩人*藤川幸之助】著作のご購入はこちらから

http://www.k-fujikawa.net/books.php

詩「ツバメ」

【詩「ツバメ」】
◆桜は今、東北あたりのようです。今日は桜の花と春の訪れを告げる「ツバメ」の詩を。

ツバメ      藤川幸之助

今年こそはと
毎年のように思って
春になると
土間の戸を開け放して寝る
寒い夜にはストーブまで用意して
ツバメは
優しい人の住むところに
巣を作ると小さい頃聞いてから

一度だけ
私の家に巣を作ったことがあった
でも白い糞で家が汚れるからと
母が土間に新聞しきつめて
おまけに巣の中にまで新聞をしいた
それからツバメは帰ってこなかった
私は優しくはなれない
一生もう私は
優しい人にはなれないと
母をにらみつけた

今年も
土間の戸を開け放して眠る
寒い夜のためにストーブまで用意して
私は今年こそ優しい人に
なっているのかと
そんな私のそばを
白い腹と赤いあごを見せて
スーッチとツバメが横切ってゆく
優しさが私にスーッチと近づいては
スーッチと遠ざかってゆく
             2003年11月子ども雑誌に書き下ろし
DSC_2435

詩「桜」

【詩「桜」】
◆私の住む長崎は桜が満開です。雑誌の原稿でも新聞の原稿でももちろんfacebookでもブログでも、桜の詩や桜の写真は桜が咲いているその時に掲載しなければ気が済まない。桜が散ってから桜を語るのは、未練がましく感じるからか、潔さに欠けるからか、なにか心地が悪い。だから、桜が咲いている内に今日は詩「桜」を。


       藤川幸之助
目の前の春は一つでした
目の前の桜も一本でした
母が認知症になる前は

今、私には桜の花びらが
幾重にも重なって見えます
今年の桜の花びら
その奥に去年の桜
そのまた奥におととしの桜
その一番奥には
母が認知症になった二十一年前の桜
鮮やかにはらはらと
重なり重なり散っています

それらの春の花見のどこかで
ウロウロしている母に
「母さん、どこへ行くとね?」って
聞いたこことがありました
「お墓へ行くとよ」
と、母が言うと
「いっしょに行くよ、母さん」
と、父は笑って言っていました

そんな父がふと
春になると
魂のような淡い色で
桜の枝に現れるのです
それまでどこに桜の樹があるのかさえ
すっかり忘れていたのに
だから、本当は嫌いなんです
この季節が
父が母を迎えに来ているようで
言葉のない母の心の
本当のところを見るようで
(詩・文・写真/藤川幸之助)
DSC_2866

◆・――・―――・◆・―――・――・◆
◆【 詩人*藤川幸之助 】著作のご購入はこちらから

http://www.k-fujikawa.net/books.php

・―――・―――・◆・―――・―――・
◆初めてこのページに来られた方へ
この【詩人*藤川幸之助】facebookページへ「いいね!」をお願いいたします。

https://www.facebook.com/fujikawa.konosuke

・―――・―――・◆・―――・―――・