詩「静かな長い夜」

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「静かな長い夜」    藤川幸之助

母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく、
ただにこりともしないで私を見つめる。

二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に、
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
本当はこんなことしてる間に
仕事したいんだよ。

時には、母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
こんな臭いを
なんでかがなくちゃなんないんだ。
「お母さんはよく分かっているんだよ」と
他人は言ってくれるけれど、
何にも分かっちゃいないと思う。

夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪いだ海に写る
自分の姿をじっと見つめる。
人の目がなかったら、
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと、
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
  ※「満月の夜、母を施設に置いて」(中央法規)より
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朗読とは*詩「母の遺言」

◆詩とは本の中にある内は、「乾燥わかめ」のようなものだと常々私は言ってきた。そのままで味わっても味わえない事もないが、詩はやはり「朗読」という水で戻して美味しく味わってもらいたいと思う。その水の温度、水につける時間など水加減で、詩はみずみずしくよみがえる。海の中で漂っていた時のわかめのように。◆5月13日のNHKハートネットTV「あなたの中の私を失う時~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助」を見て、濱中 博久アナウンサーの朗読がとにかく素晴らしいと思った。番組の中で朗読された詩は、講演で私も自ら朗読するが濱中 博久アナウンサーの朗読のようにはいかない。詩に向かい合うとき、その詩への「水加減」をしっかりと見極める感覚なのだろうか。◆番組の一番最後の詩「桜」(詩集『徘徊と笑うなかれ』中央法規出版)と詩「母の遺言」(詩集『命が命を生かす瞬間』)の朗読が特に心に沁みた。今日はその詩「母の遺言」をどうぞ。

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母の遺言
       藤川幸之助
二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた
残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった
最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた
死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
(ポストカード詩集『命が命を生かす瞬間』東本願寺出版より)

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詩「誕生日」

◆5月13日のNHKハートネットTV「あなたの中の私を失う時~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助」を見ていただき、たくさんの感想をありがとうございます。◆TVでも言いましたが、私は母の誕生日も知らないろくでもない息子なんです。そんな息子が書いた「誕生日」という詩を今日はどうぞ。◆ご覧になっていない方は、以下の時間に再放送がありますので、お時間があればご覧ください。
※NHK Eテレ(教育テレビ)
ハートネットTV・あなたの中の私を失う時
~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助
※再放送:5月20日(水)13:05~13:34

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-05/13.html

【藤川幸之助・講演会のお知らせ】
5月24日(日)日本認知症ケア学会大会・特別講演
「認知症の人の心に向き合う~子どもの作文の中の15のヒント」
※ホテルさっぽろ芸文館 11:30~12:30 
【問い合わせ】株式会社ワールドプランニング内 
 日本認知症ケア学会・電話:03-5206-7431
1-悲しみ
誕生日
    藤川幸之助

プレゼントは下着二枚とパジャマ一着
ケーキを買ってみたものの
そのケーキを食べるのも
誕生日の歌を歌うのも私なのだ

母が認知症になるまでは
母のことなんてどうでもよかった
母の誕生日なんてすっかり忘れていた
自分の好きなことだけ懸命にやった

自立してからも私の誕生日には
母は忘れず電報を送ってくれていた
オタンジョウビオメデトウ
ジブンノスキナコトヲ
オモイッキリヤリナサイ
誕生日は生んでくれた母親に
感謝する日だと父に叱られても
お礼も言わないままだった

ケーキを前に
ロウソクの火を消すのもこの私で
私の誕生日のようで
母が祝ってくれているようで
長い八本と短い数本の火を
母に感謝して一息で消した
詩集『徘徊と笑うなかれ』(中央法規出版)

【詩・写真*藤川幸之助】
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詩「きはきづく」

◆若葉の美しい季節になりました。今日は樹の詩をどうぞ。【写真・詩*藤川幸之助】

言葉5-001

きはきづく
          藤川幸之助
きはきづく
このせかいで
いちばんおおきないきものは
このじぶんだと
きはきづく

きはきづく
ぞうでもくじらでもない
かげがいちばんおおきいのも
このじぶんだと
きはきづく

きはきづく
このせかいで
いちばんふるいいきものも
このじぶんだと
きはきづく

きはきづく
おじいさんでもおばあさんでもない
きのまえでひとはうまれそだち
おいしんでゆくくりかえし
きはきづく

よるきはひとりたたずむ
じぶんのかげよりおおきな
よるのかげにつつまれて
ふゆきはひとりたちつくす
じぶんよりおおきな
ふゆのちんもくにつつまれて
はるきはひとりめをさます
ことりのさえずりのなか
じぶんからめぶくちいさなおとがする

きはきづく
このせかいで
いちばんわかくてあたらしいのも
このじぶんなんだと
きはきづく
           2015/05/05書き下ろし
◆facebookの管理人さんに再三お知らせいただいていますが、5月20日(水)午後1時05分~のTV番組(ハートネットTV・あなたの中の私を失う時~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助)再放送があります。お時間があればご覧ください。

詩「四つ葉の幸せ」

◆昨日、公園のイスの上にシロツメクサの花冠の忘れ物。クローバーの季節です。三つ葉のクローバーの中に四つ葉のある確率は1/10,000だと聞いてから、私は四つ葉のクローバーを探す意欲を失っていましたが、ギネス認定の世界記録のクローバーは56葉とのこと、この記録の確率を考えると四つ葉ぐらい探してみようかなという気にもなります。今日は『まなざしかいご』(中央法規出版)から詩「四つ葉の幸せ」を。【詩・コメント・イラスト*藤川幸之助】

四つ葉さがし
四つ葉の幸せ
            藤川幸之助
四つ葉のクローバーは
見つけると幸せが訪れるという。
小さい頃から
いくつもいくつも
四つ葉のクローバーを見つけては
母がしおりを作ってくれたが
幸せはそうやすやすとは訪れなかった。

幸せとは訪れるのではなく
心の中に見つけるものだ。
そう気づいて
四つ葉のクローバーを見つけるように
心の中に幸せを見つけ続けた。
認知症の母との一日一日の中でも。

クローバーについては続きの話がある。
五つ葉は金銭上の幸せ。
六つ葉は地位や名声を手に入れる幸せ。
七つ葉は九死に一生を得るといったような
最大の幸せを意味すると。
五つも六つも七つもいらないなあと思う。
四つ葉で十分だと思う。

母のしおりには言葉が添えられている
「四つ葉を手にすることより
 四つ葉を見つけることを楽しみなさい」と。
「四つ葉」を「幸せ」と置き換えて
母の言葉を読んでみる。
           『まなざしかいご』(中央法規出版)
◆facebookの管理人さんに再三お知らせいただいていますが、5月13日(水)のTV番組(ハートネットTV・あなたの中の私を失う時~認知症の母を詠む~詩人・藤川幸之助)に出演します。お時間があればご覧ください。