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◆母が認知症と診断された頃は、父も心臓病を患っていた。母がアルツハイマー病だと分かった時、「残された命を全てキヨ子のためにつかうつもりだ。」と母を優しく見つめて父が言った。母の事を書いた私の詩を父の物語として読む読者もいるらしい。今日はその父のことを書いた詩「領収書」をどうぞ。◆7月は熊本市と北海道・栗山町に講演に行きます。お近くの皆さんは是非聞きに来てください。
領収証 藤川幸之助
父は
おしめ一つ買うにも
弁当を二つ買うにも
領収証をもらった
そして
帰ってからノートに明細を書いた
「二人でためたお金だもの
母さんが理解できなくても
母さんに見せないといけないから」
と領収証をノートの終わりに貼る父
そのノートの始まりには
墨で「誠実なる生活」と父は書いていた
私も領収証をもらう
そして母のノートの終わりに貼る
母には理解できないだろうけれど
母へ見せるために
死んでしまったけれど
父へ見せるために
アルツハイマーの薬ができたら
母に飲ませるんだと
父が誠実な生活をして
貯めたわずかばかりのお金を
母の代わりに預かる
母が死んで
父に出会ったとき
「二人のお金はこんな風に使いましたよ」
と母がきちんと言えるように
領収証を切ってもらう
私はノートの始めに
「母を幸せにするために」
と書いている
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
©Konosuke Fujikawa
【詩・文*藤川幸之助】
【講演会のご案内】
◆2019年7月7日 (日) AM10:00〜AM11:30
【会場】 熊本県熊本市 くまもと森都心プラザ
【講演内容】支える側が支えられるとき
〜認知症の母が教えてくれたこと〜
【問い合わせ】熊本県腎不全看護研究会
済生会熊本病院・血液浄化センター内
TEL 096-351-8093
【詳細】http://plaza.umin.ac.jp/knna/index.html
◆2019年7月30日(火)14:00〜16:00
【会場】 くりやまカルチャープラザEki
北海道夕張郡栗山町中央2丁目1
【講演内容】支える側が支えられるとき
〜認知症の母が教えてくれたこと〜
【問い合わせ】北海道栗山町立・北海道介護福祉学校
【電話】0123-72-6060
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【海容という言葉◆詩「静かな長い夜」】
投稿日時: 2015年06月21日 投稿者: 藤川幸之助
■認知症の母を前に、私はいつもじたばたした。そんな私を、母は海のように静かに見つめていた。そんな母の瞳を思い出す。「海容」という言葉がある。海のような広い心を以て、人を許すこと。広く物を容れる海の様子からできた言葉。許し合うことで、人は一つの海になっていくのかもしれない。海に真っ青な空がくっきりと映り、海と空とが一つに溶け合おうとする姿が目に浮かぶ。海容の「容」という字には、「受け入れる」という意味もあるらしい。母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、ますますその生の青さを深くしていったのだろう。◆「今日の詩」はいつも講演時間に余裕がなくて、詩の朗読のセットリストに入れていてもなかなか朗読できない詩「静かな長い夜」をお届けします。
◆みなさま、宜しければ「シェア」をしていただければ嬉しいです。
静かな長い夜
藤川幸之助
母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないで私を見つめる。
二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
おれがかがなくちゃなんないんだ」
「お母さんはよく分かっているんだよ」
と他人(ひと)は言ってくれるけれど
何にも分かっちゃいないと思う。
*
夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪(な)いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)に関連文
©Konosuke Fujikawa
【詩・写真*藤川幸之助】
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【第20回日本認知症ケア学会大会*詩「母の遺言」】
投稿日時: 2015年05月22日 投稿者: 藤川幸之助
◆この5月25日〜26日に京都で第20回認知症ケア学会大会が開催されました。年を追って参加者も増え、主催者によると今年は6,151人の参加があったとのことでした。◆私は毎年この大会で講演と「未来を作る子どもたちの作文コンクール」の選考委員長をさせていただいていますが、今年は5月26日に「特別講演7」とこの作文コンクールの選考経過報告をいたしました。。◆『認知症の人と「この今」を生きる〜存在に耳をすますということ〜』という演題で1時間の講演をしました。朝早くからの講演でしたが700人の会場で立ち見の方が出るほどの多くの方に聞きに来ていただき、心より感謝いたします。◆今日の詩は、その講演の最後に朗読した「母の遺言」という詩を掲載します。この詩は「看取り」ということをテーマに書いた詩です。この言葉は「最期を看取る」というように使われ、そのことが強調されるあまり、最期を共にすることが「看取り」と考えられがちですが、「看取り」とは本来、病人の世話をすることや看病することなど、命に向かい合うことを表す言葉のようです。その語源をひもとくと、「見て写しとること」です。命を目の前に人はその命を自分自身に写しとっているのだと思います。
©Konosuke Fujikawa
遺言
藤川幸之助
二十四年間母に付き合ってきたんだもの
最期ぐらいはと祈るように思っていたが
結局母の死に目には会えなかった
ドラマのように突然話しかけてくるとか
私を見つめて涙を流すとか
夢に現れるとかもなく
駆けつけると母は死んでいた
残ったものは母の亡骸一体
パジャマ三着
余った紙おむつ
歯ブラシとコップなど袋二袋分
もちろん何の遺言も
感謝の言葉もどこにもなかった
最期だけは立ち会えなかったけれど
老いていく母の姿も
母の死へ向かう姿も
死へ抗う母の姿も
必死に生きようとする母も
それを通した自分の姿も
全てつぶさに見つめて
母を私に刻んできた
死とはなくなってしまうことではない
死とはひとつになること
母の亡骸は母のものだが
母の死は残された私のものだ
母を刻んだ私をどう生きていくか
それが命を繋ぐということ
この私自身が母の遺言
©Konosuke Fujikawa
【詩・写真*藤川幸之助】
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◆「さざんかは/名残の花や/七日粥」という渡辺水巴の俳句がある。結句が七日粥なので、サザンカは楽しかった「正月の名残」の花なのだろうと思っていた。◆今日ふと北国・富山を舞台にした宮本輝の「螢川」の一節を思い出した。「一年を終えるとあたかも冬こそ全てであったように思われる。」というもの。水巴はサザンカを見つめながら「この一年」を名残んでいたのではないかと思い直した。◆青森で車窓を見ながら「雪は大変ですね」と尋ねると、「大変ですが、春は必ず来ますから」とのタクシー運転手の言葉を思い出す。厳しい寒さに耐え、大変な思いをして乗り越えた春はまた格別なものなのだろう。◆一年の始まりはと問われたら一も二もなく「元日だ」と私は答えるが、北国の人にとっては一年は春に始まり、冬に終わるにちがいない。今は新しい年の始まりの月でもあるが、一年の終わりの季節なのだと改めて感じた。◆私にとって今まで花の開花が春の兆しであった。なかんづく白木蓮を見ると一掬の春の気配を感じていたが、今年は少しばかり違う。サザンカの花が一つ一つ落ちていく姿に一歩一歩春を感じるようになった。では、最後に駄句を一つ。山茶花や/拠り立つところ/散り染めて*幸之助 最後に詩「冬を選んで咲く花は」
冬を選んで咲く花は* 藤川幸之助
冬を選んで咲く花は
雪の白さに咲く花よ
風のぬくみを知る花よ
冬を選んで咲く花は
不言色した明日掬す
赤い花弁を持つ花よ
冬を選んで咲く花は
寒さ選んで咲く花よ
生きる証を持つ花よ
冬を選んで咲く花は
ハラハラハラと散り染めて
春には去っていぬ花よ